フランスのアンティークジュエリー史概要(後編)
Bonjour 皆さん!オーナーのラファエルです。
前記事に続き、フランスのアンティークジュエリー史の後編をお届けします。前編をお読みになっている方は、以下の前置きをスキップして、アールヌーボーの章からお読みください。(前記事:『フランスのアンティークジュエリー史概要(前編)』)
メゾンマエアスの商品説明やアンティーク物語では、デザイン、素材、時代背景など、多角的な視点から情報をお届けするよう努めています。いずれも大切な要素ではありますが、アンティークジュエリーにおいては、特に時代背景が重要であることは言うまでもありません。
ブログ記事や商品説明を読む際、「アールデコって何?」「ナポレオン3世時代とはいつのこと?」などの疑問があると、本題に集中できず、内容が頭に入りにくいのではないでしょうか。歴史的な背景をある程度理解していれば、解説を読むのがさらに楽しくなり、アンティークジュエリーへの愛着も深まるはずです。そこで、まだこの世界にあまり馴染みの無い方への入門編として、フランスのアンティークジュエリー史を簡単にまとめてみることにしました。
フランス限定とはいえ、各時代の詳細まで掘り下げていくと分厚い本一冊分くらいのボリュームになってしまいます。今回はジュエリー史全体を俯瞰することに重点を置き、各時代の簡単な解説にとどめました。ご紹介するジュエリータイプも代表的なもののみとさせていただきます。
解説する時代の切り分けには、主にフランスで一般的に採用されている時代区分を使用しています。この時代区分とは別に、新古典主義(néo-classicisme)やロマン主義(romantisme)、自然主義(naturalisme)などの芸術運動が存在しますが、これらについては、各時代の背景として、それぞれの時代に触れながらご紹介しています。
対象とする時代は、ルイ16世期(18世紀)からアールデコ期まで。一本の記事にまとめることはボリューム的に難しいため、前・後編に分割しました。その後編である本記事では、アールヌーボー、ベルエポック、アールデコををご紹介いたします。
目次
- ルイ16世時代(Époque Louis XVI) ー 前編
- 統領政府(Consulat)と第一帝政時代(1er Empire)ー 前編
- 復古王政(Restauration)と七月王政(Monarchie de Juillet)ー 前編
- ナポレオン3世時代(Second Empire)と19世紀末(Fin de Siècle)ー 前編
- アールヌーボー(Art Nouveau)
- ベルエポック(Belle Époque)
- アールデコ(Art Déco)
5.アールヌーボー(Art Nouveau)
アールヌーボーとベルエポックは、いずれも19世紀末から20世紀初頭の、ほぼ同じ時期に隆盛を極めた様式です。
「ベルエポック」という言葉は、広義には19世紀末から第一次世界大戦前後のフランスの華やかな時代を指します(Belle Époque = 美しい時代)。この時期、アールヌーボーという芸術様式が発展し、この広義のベルエポックの中で特に注目されたスタイルとなりました。一方で、この時期にはアールヌーボーとは異なる、18世紀の優美さを再解釈しつつ、近代の洗練を加えた装飾様式もフランスで人気を博しました。これが、後に解説する、狭義のベルエポックです。「ベルエポック様式」と表現した方が分かりやすいかもしれませんね。
この時期、ヨーロッパにおいていくつかの芸術運動が発展していました。アールヌーボー(フランス&ベルギー)、アーツ・アンド・クラフツ運動(イギリス)、ユーゲントシュティール(ドイツ)などが挙げられます。それぞれ異なる背景や美意識を持ちながらも、お互いに影響し合っていた、いずれも文化的潮流に基づく運動です。
アールヌーボー(Art Nouveau)の直訳は「新しい芸術」。フランスではメトロの入口をデザインしたアールヌーボーの代表的人物Hector Guimard氏の名前をとって、ギマール様式(Style Guimard)と呼ばれることもあります。1890年代初めから広がりを見せていましたが、一般的にはSamuel Bing氏がパリで"Maison de l'Art Nouveau"というギャラリーをオープンした1895年をこのムーヴメントの開始年とすることが多いようです。教科書的には第一次世界大戦前の1914年まで続いたとされます(後述)。
アールヌーボーの起源
アールヌーボーは、古典主義(18世紀後半~19世紀初頭やナポレオン3世時代の新古典主義など)の堅苦しい規則や、産業革命を起点とした大量生産へのアンチテーゼとしてアーティストたちが始めたムーヴメントです。理論面では、イギリスのアーツ・アンド・クラフツ運動に影響を受けており、手工芸の価値の再評価や、芸術と生活の調和を目指しました。
インスピレーションソース
アールヌーボーの主なインスピレーションソース(着想源)は「自然」と「女性」です。
【自然】植物や花、動物などが非常に重要なモチーフとして取り入れられていました。斬新なアプローチで、伝統的な花などのジュエリーに流動感やバイタリティーを与えています。蝶、トンボ、魚、鳥、蝙蝠、爬虫類、架空の動物などもモチーフとして採用されました。
【女性】女性もこの時代の代表的な着想源です。女性とトンボの羽が一体化した、ルネ・ラリックの「トンボの精」をご覧になった方は多いのでなないでしょうか。アメリカ人女性ダンサーのルイ・フラーや、フランスの舞台女優サラ・ベルナールがアールヌーボーにおけるミューズ(女神)であったことはよく知られています。アルフォンス・ミュシャがサラ・ベルナールのために描いた一連のポスターは、本ムーヴメントを体現するものとしてあまりにも有名ですね。
デザインスタイル
しなやかに流れるような曲線が特徴的です。植物や、花、動物などの自然をモチーフとしたデザインが多く、優美な印象を与える柔らかなラインが多用されています。曲線や螺旋が多いのは、自然の生き生きとした動きや生命力を表現するためです。
装飾は非常に繊細で、時には優雅で官能的。曲線は有機的に絡み合い、途切れることなく流れるように構成されるのが特徴です。背景や枠組みさえも装飾の一部となり、デザイン全体が統一されたリズムを生み出します。また、非対称の構図が多用され、静止したモチーフにも動きや生命感が宿るよう工夫されています。
素材
ダイモンドなどの貴石以外に、トパーズ、アメジスト、メノウ、オパールなどの半貴石や、象牙、角(ツノ)、珊瑚、べっ甲、エキゾチックウッドなどの動植物系素材も好んで使われました。ルネ・ラリックはシンプルなガラスさえ使用しています。彼が好んで使用したプリカジュールエナメルも、この時代を代表的する素材(&技法)です。
代表的なアーチスト
ルネ・ラリック、ジョルジュ・フーケ、エミール・ガレ、エクトール・ギマール、アルフォンス・ミュシャ、ヴィクトール・オルタ、アンリ・ヴェヴェール、フィリップ・ウォルファーなどが活躍していました。
アールヌーボーの最盛期は意外と短く、1904年頃にはビッグアーチストたちがこの運動から少しづつ離れていきました。新しいスタイルを安易に量産し、粗悪な模倣品が氾濫するにつれて、アールヌーボー本来の精神が次第に失われていった(と感じた)ためです。アーチストの離反後も、商業的な生産は1914年頃まで継続していました。
トンボの精(ルネ・ラリック作) 出典:Wikimedia Commons
サラ・ベルナールのポスター(ミュシャ作) 出典:Wikimedia Commons
リング
アールヌーボーでは、リングはあまり重視されませんでした。この運動の独自性や創造性を表現するには、リングのサイズが小さすぎると考えられたためです。例は少ないものの、植物をモチーフにしたものや、優雅な曲線をデザインしたリングが制作されています。
※現在アールヌーボースタイルとして紹介されているリングの多くは、実際にはベルエポックスタイルに分類されるべきものです。

ピアス・イヤリング
アーチストたちはあまりイヤリングに興味を示さず、プリカジュールエナメルのものなどが少数制作されたにとどまりました。リング同様、サイズが小さいため、より大きく目立つアクセサリーに目が向けられていたと考えられます。
ブレスレット
一般的な腕輪型のブレスレットだけでなく、ヘビが腕に巻き付くデザインのものや、リンクブレスレットなど、多様なブレスレットが制作されていました。この時代らしく、モチーフは主に動植物です。多くの場合、宝石よりも、レリーフ装飾やエナメル装飾が主役となっていました。
フクロウのブレスレット(ルネ・ラリック作) 出典:Wikimedia Commons
コウモリのブレスレット(フィリップ・ウォルファー作) 出典:Wikimedia Commons
ブローチ
アールヌーボーらしい自由で非対称な曲線が特徴です。四角い枠に自らを押し込めることなく、のびのびと自己主張をしていました。
モチーフの多くは植物など自然を対象にしたものや、曲線そのもの。台座の素材は主にゴールドで、レリーフ装飾、筋模様、フィリグリーなどの細工が施されていたものもありました。オパール、象牙、真珠などが人気の素材で、アールヌーボーらしい、エナメル引きのブローチも制作されています。前の時代に続き、ペンダントとしても使えるコンバーチブルスタイルが人気を博していました。
アールヌーボーのゴールドペンダントブローチ(ガーネットと天然真珠)
ネックレス
アールヌーボー&ベルエポック期を象徴するネックレスタイプの一つに、"collier de chien"があります。直訳すると「犬の首輪」。英語圏や日本で、ドッグカラー(Dog collar)などと呼ばれる、首にぴったりと巻き付く幅広のチョーカー的なネックレスです。
このタイプのネックレスは、中央に"plaque de cou"(首のプレート)と呼ばれる、装飾的なプレートを配したデザインが一般的。特に、マルチストランドパールと組み合わせた優雅なデザインが人気を博しました。
パールのドッグカラーネックレス(ルネ・ラリック作) 出典:Wikimedia Commons
ペンダント
18世紀、19世紀に人気のあった、写真や毛髪などを格納するロケットタイプのペンダントは次第に姿を消しました。ブローチ同様、流れるような曲線を活かした優美で自由なデザインへと移行していきます。
植物、花、昆虫、動物、女性という、アールヌーボーらしいモチーフがメイン。女性の心をときめかせる優雅で愛らしいデザインが大変な人気を博しました。
ビッグアーチストのものは個性が強すぎて使用しづらいかもしれませんが、現在市場に流通している多くのアールヌーボーのペンダントは、ほとんどが優しく使いやすいデザインです。
エメラルドとダイヤモンドのトンボペンダント(アールヌーボー)
ベルエポック(Belle Époque)
フランスの「美しい時代」を指す広義のベルエポックは、特にフランスにおいて豊かな時代であり、その贅沢さが建築、芸術、ファッションに色濃く反映されました。上流階級やブルジョワジーが贅沢なライフスタイルを享受し、パリ万国博覧会(1900年)などで新しい芸術が世界に紹介されています。華やかで楽しい時代でしたが、1914年の第1次世界大戦勃発によってその時代は幕を閉じました。
この時代に隆盛を極めたベルエポック様式は、ロココ、古典主義、ルイ16世様式など、さまざまな芸術的要素が見事に融合したものといえます。優雅で精緻な形状を重視し、装飾品や家具、建築に至るまで、繊細で華やかなデザインが追求されました。
ロココや古典主義の要素を取り入れた豪華な装飾を好んだウジェニー(ナポレオン3世の皇后)の影響が19世紀後半から続き、ベルエポック期の様式形成にも大きな役割を果たたといわれています。
華やかなりし豊かな時代、ウジェニー皇后の趣向、19世紀後半から一層強まっていた自然主義が融合し、ベルエポック様式が形成されたといえるでしょう。
同じ時期に隆盛を極めたアールヌーボーとは、相違点だけでなく共通点もあります。ベルエポック様式を理解するには、アールヌーボーとの対比が役立ちますので、それぞれの特性をジュエラー(制作・販売者)に着目してまとめてみました。
■アールヌーボー
- アーチストとしての側面が強い
- ジュエリー以外のアート作品も制作していることが多い
- 世のムーヴメントに敏感、もしくはムーヴメントを起こす側
- デザイン重視で、素材(貴金属、宝石)の価値にさほど重きを置かない
■ベルエポック
- アーチストよりも、製造・販売業者としての側面が強い
- 変化には保守的でありながら、全くアートムーヴメントを無視するわけではない
- ジュエリーの価値は素材の価値に大きく依存するという考え方
ベルエポック様式は、アールヌーボーのテイストを一定程度取り入れていました。曲線や自然モチーフの多用は、アールヌーボーから受けた影響の代表的な例です。
デザインスタイル
18世紀のデザインを多く取り入れていたベルエポックのジュエリーには、ガーランドスタイルやリボンモチーフなどの優美な装飾が施されたものが多く見られます。カルティエ、ブシュロン、ヴァン・クリーフ&アーペルなどのジュエラーは、このスタイルで名を馳せました。
※アンティーク物語『ガーランドとアンティークジュエリー』もご覧ください。
アールヌーボースタイルの影響を受けた流れるような曲線や、花や葉などの植物モチーフの採用も特徴的です。また、アラベスク模様のマイユ(環)を連結したフィリグリー細工のジュエリーが人気を博したのもこの時代です。
素材
ダイヤモンドとプラチナは、ベルエポックジュエリーの洗練された美しさを支える重要な要素です。
ただし、後のアールデコジュエリーとは異なり、プラチナはダイヤモンドのセッティング部など、限定的な場所でのみ使われていました。。ダイヤモンドの透明感を最大限に生かすためにプラチナは理想的な素材だったのです。
高価なダイヤモンドは上流階級を象徴する存在。ベルエポックの華やかで洗練された時代の精神にぴったり調和する宝石です。光を反射して美しく輝くダイヤモンドは、豪華で洗練されたデザインに絶妙にマッチし、その魅力を一層引き立てました。
パールやエメラルド、ルビー、サファイアなど、色とりどりの宝石もジュエリーに使用され、アクセサリーに華やかさと豪華さを加えています。
ベルエポック様式の内装で飾られたレストラン(Le Train Bleu)
リング
洗練された装飾性と軽やかさが重視されました。最も多く見られたスタイルは、ダイヤモンドのトワエモワとトゥルビヨン。ダイヤモンドの輝きを引き立てるために、ゴールドのシャンク+プラチナ台座という組み合わせが一般的でした。
19世紀後半に引き続き、クラスター系のリングも人気です。
ダイヤモンド以外に、サファイヤ、エメラルド、ルビー、真珠なども使われています。半貴石を好んだアールヌーボーの影響で、アメジストやトパーズがメインストーンに使用されることもありました。
この時代のリングは現代でもアンティークジュエリーとして高く評価され、特に繊細な細工が施されたものはコレクターズアイテムとなっています。
ピアス・イヤリング
シンプルなものから華やかなものまで、多彩なデザインが展開されました。ガーランドスタイルのモチーフが揺れるドロップ型や、大粒のダイヤモンドを小粒のダイヤモンドが取り囲むクラスタースタイルは、この時代を象徴するデザインです。シャンデリアイヤリングやクレオール、シンプルなドロップピアスなども広く愛用されました。
素材としては、ゴールド、シルバー、プラチナ、ダイヤモンドといった高価なものが主流で、19世紀に引き続き真珠も人気を集めていました。
透かし細工やフィリグリー細工を施した繊細な台座のイヤリングも見られます。留め具も進歩し、ビス式のものも徐々に普及していきました。
ブレスレット
ベルエポック期のブレスレットは、華奢なゴールドのリンクチェーンで作られることが多く、特にフィリグリー細工マイユ(環)を連結したデザインが人気を博しました。
また、ダイヤモンドが留められた装飾プレートとマルチストランドパールを組み合わせた"collier de chien"(ドッグカラー)スタイルの豪華なブレスレットも制作されています。
フィリグリーのダブルストランド ブレスレット(18Kゴールド)
ブローチ
ベルエポック様式のブローチは、アンティークジュエリーファンに非常に人気があります。
フランス語で"broche barette"と呼ばれる、細長い形状のブローチ(バーブローチの一種)はベルエポックの代表的なデザインです。一列に並べられた宝石やパールで構成されるブローチで、髪飾りやティアラのパーツとして使うこともできます。
他には、リボン、矢、クローバー、花などのモチーフも人気がありました。ナポレオン3世時代に人気を集めた三日月や星型のデザインも見られます。
素材面では、ダイヤが留められたゴールド&プラチナ製が人気でした。
ネックレス
アールヌーボーでご紹介した"collier de chien"(ドッグカラー)ネックレスは、ベルエポックスタイルでも多数制作されています。"plaque de cou"を中心に据えたもの、マルチストランドパールを使用したもの、透かし細工の施されたメタルモチーフを繋げたものなど、構成はアールヌーボーのものとほぼ同じ。違いは各モチーフのデザインと、使用されている宝石です。ベルエポックスタイルのものは落ち着きのあるクラシカルで優美なデザインを持ち、ダイヤモンドを中心とした貴石が使われていました。
アシンメトリーに配置された二つのペンダントがぶら下げられたネグリジェ・ネックレスやフィリグリーのネックレス、"draperie"(ドラプリー)スタイルのガーランドネックレスも人気を博しました。
ペンダント
軽やかで洗練されたデザインが特徴です。ガーランド、リボンモチーフが多用され、透かし細工が施された繊細で軽やかなものでした。対称的でバランスの取れた伝統的な形状に加え、アールヌーボーの影響を受けた曲線が強調されたデザインも登場しています。
この時代らしくプラチナとダイヤモンドの組み合わせが人気。パール、サファイア、ルビーなどがアクセントとして用いられることもありました。
7.アールデコ(Art Déco)
アールデコは一般的に第一次世界大戦後(1920年頃)から第二2次世界大戦開始(1940年頃)までの時期を指します。※その萌芽を含め、1910年代半ば頃から、とされることもあります。
アールデコ(Art Déco)の名前の由来は、1925年にパリで開催された「現代装飾美術・産業美術国際博覧会(Exposition Internationale des Arts Décoratifs et Industriels Modernes)」。この博覧会は、アールデコ様式が世界的に広まるきっかけとなりました。
アールデコは突然生まれた潮流ではありません。先行する以下のムーヴメントから大きな影響を受けています。
- キュビスム:1907年頃にピカソとブラックが共同で生み出した、対象を幾何学的形態に分解・再構成する美術様式
- ピュリスム:1918年頃にオザンファンとル・コルビュジエが提唱した、幾何学的で簡潔な形態を追求する美術様式
- フューチャリスム:20世紀初頭にイタリアを中心として起こった前衛芸術運動。機械文明やスピード、力強さを肯定し、未来への革新を唱えた
幾何学的、未来、機械化、シンプル(簡潔)さ、などの要素はそのままアールデコに当てはまります。
これらのムーヴメントと、第1次世界大戦の終了による、生活・文化をリニューアルしようという気風がアールデコを開花させたのです。
デザインスタイル
アール・ヌーボーやベル・エポック期の流れるような曲線装飾から一転し、幾何学模様や力強い直線が多用されました。シンメトリー(左右対称)が強調され、全体的にシンプルかつモダンな印象を生み出しています。
「様式化(stylisation)」もアールデコデザインの特徴の一つ。これは、自然の形や現実のモチーフを抽象化し、単純化しながら装飾的に表現する手法です。代表的な例として、エルテ(Erté)のファッション・イラストや、ポール・イリーブ(Paul Iribe)の装飾デザイン「ラ・ローズ・ディリーブ(La Rose d'Iribe)」が挙げられます。
当時、パリを中心に活動していたロシア・バレエ団は、その色使いやモチーフによってアールデコに大きな影響を与えました。赤、金、黒のコントラストや、深い青や緑などのエキゾチックで大胆な色彩、さらには金属的な輝きが、アールデコのデザインに反映されています。淡く優しい色が主で女性的であったベルエポックのジュエリーは、鮮やかで原色の輝きのある中性的な色彩のジュエリーに方向転換したのです。
また、バレエ団のエキゾチックなスタイルにも強く影響を受け、エジプト趣味やアフリカン・アートの要素がアールデコのデザインに取り入れられました。なお、アールデコは中国や日本のアートからも影響を受けています。
ヴァン クリーフ&アーペルが1933年に特許を取得したミステリーセッティング(インビジブルセッティング)は、爪や金属が見えない宝石のセッティング技法です。宝石を規則正しく並べることにより幾何学的なパターンを作りやすかったり、宝石だけを連ねることによりシンプルでモダンな造形美を実現しやすかったりするという特徴は、アールデコと非常に親和性が高いものでした。
ミステリーセッティングにイメージが近いものとして、カリブレカットが挙げられます。枠にぴったり合わせることが可能なカリブレカットの宝石は、縁取りや幾何学模様の強調に多用されました。1920年代から広く使われていましたので、アールデコ期においてはミステリーセッティング以上にポピュラーなセッティングスタイルであったといえます。
アールデコ後期の1930年代には、女性的で繊細なデザインのジュエリーも出現しました。女性的な曲線や自然をモチーフとした装飾と、アールデコの精緻なカット技術やモダンな構造を融合させたものです。
素材
貴石以外に、アメジスト、ガーネット、シトリン、オニキス、トルコ石、マザーオブパール、珊瑚、ラピスラズリ、ジェットなども好まれました。色鮮やかなトルコ石やガーネット、強いインパクトを与えるオニキスやジェット、深い色調のアメジストやラピスラズリなどが、アールデコの幾何学的でコントラストの強いデザインにマッチしたのです。同様にアクセントを生み出す素材として、エナメルも人気でした。
少し変わったところでは、マーカサイト、シンセティック(合成)ルビー、ロッククリスタルなどでも多くのジュエリーが作られています。例えば、プラチナ&ダイヤモンドの代わりにシルバー&マーカサイトを使用することで、比較的リーズナブルな価格を実現することができたのです。
ゴールド、プラチナに加え、1920年頃からはホワイトゴールドも広く使われるようになってきました。
アールデコデザインのスクリーン(屏風) 出典:Wikimedia Commons
Symphony in Black(Erté作)
リング
幾何学的なデザインや大胆な色使い、精緻なセッティングなどが特徴で、従来のクラシカルなスタイルを一新しました。様式化されたモチーフ、ミステリーセッティング、カリブレカットの宝石など、アールデコのあらゆる特徴のものが見られます。
プラチナ製のバターカップ台座にダイヤモンドが一つ留められたソリテールリングも、この時代のヒット作品です。その原型は1886年にティファニーが発表したティファニー® セッティングで、当時は多くの女性が婚約指輪としてこのスタイルを選んでいました。
ソリテールリング ドゥミタイユの大粒ダイヤモンド(0.5CT)
ピアス・イヤリング
幾何学的なデザインや、直線的で洗練されたフォルムが特徴でした。直線や角を強調したデザインが好まれ、時には大胆なシンメトリーが取り入れられています。これにより、イヤリングは一見シンプルに見えながらも、強いインパクトを与えることができるようになったのです。
特に、長いドロップイヤリングや、耳元に垂れ下がるデザインが人気でした。当時流行していた短髪のボーイッシュな髪型と相性が良かったためです。
アールデコ後期にはイヤリングのサイズが大きくなり、カラーストーンやダイヤモンドが留められました。同時期、クリップ式の留め具も登場します。
ブレスレット
短い袖や、腕と肩が露出したイブニングドレスが流行したため、手首や腕の上部を飾るジュエリーが重要視されました。
デザインは、アールデコ期らしく、幾何学的かつシンメトリーなもの。タイプとしては、バングル、カフブレスレット、リンクブレスレットが主流でした。ダイヤモンドやオニキス、色鮮やかなカラーストーンなどがセンスよく留められ、洗練された装飾が施されていました。
幾何学的、などのアールデコらしい特性は保持しつつ、エジプト、オリエント、ビザンチン様式などの中世趣味やエキゾチックなデザインのものも制作されています。
アールデコ中期には、プラチナとダイヤモンドを用いた重厚なデザインが主流となり、後期に入るとゴールドのフレームにカラーストーンを留めたものも多く制作されました。
アールデコ様式のブレスレット 出典:DIAMONDS IN THE LIBRARY
ブローチ
アールデコ期において、ブローチは非常に人気の高いジュエリーでした。リボンブローチ、バーブローチ、扇形・円形・スクエア型のシンメトリーデザインのものなど、様々なスタイルのブローチが女性たちを彩りました。素材の組み合わせは非常に洗練されており、当時の最先端のセッティング技法が取り入れられています。
スプリングヒンジを利用したクリップ式のブローチも広く使われるようになっていきます(シンプルに"clip"と呼ばれていました)。挟み込み方式で留めるため、襟元やバッグ、スカーフ、手袋など、それまではあまり利用されなかったポイントにも装着することが可能でした。
クリップ式のコンバーチブルブローチはこの時代の特徴的なスタイルの一つです。取り外しや変形が可能なブローチで、2つのパーツに分けたり、ペンダントやヘアアクセサリーとしても使えるものもありました。
人気のあった素材は、プラチナ、ホワイトゴールド、ダイヤモンド、ブラックオニキス、ラピスラズリ、ジェットなどです。
この時代特有のデザインを持つ以下のリボンブローチは、アールデコ定番のプラチナ&ダイヤモンドを模した、シルバー&マーカサイト製のものです。
ロッククリスタルの分離式クリップ(René Boivin作) 出典:Wikimedia Commons
ネックレス
多岐にわたるデザインが存在するため、簡潔に整理するのは難しいかもしれません。よく見られるスタイルには、ソートワール、ラヴァリエール、ネグリジェ、チョーカーなどがあります。いずれもアールデコ時代に生まれたネックレススタイルではありませんが、アールデコ特有のモチーフや素材を取り入れてデザインされていました。幾何学的なモチーフがぶら下げられたラヴァリエールなどがその良い例でしょう。
素材面では、プラチナ&ダイヤモンドという鉄板の組み合わせ以外に、珊瑚、翡翠、象牙、ロッククリスタルなども人気でした。
1930年代には、カリブレカットのルビーとダイヤモンドが網目状に交錯する装飾や、リボンモチーフの付いた女性的なデザインも登場します。
ルビーとダイヤのネグリジェネックレス
ペンダント
1920年代は、アールデコらしい幾何学的なデザインをベースにした、シンプルで力強いデザインのものが人気を博しました。主流のスタイルは、プラチナやホワイトゴールドの台座に、ダイヤモンドを精密にセッティングしたものです。
ペンダントの先端にダイヤモンドやパールなどの装飾をぶら下げたデザインのものも多く制作されました。また、中国をインスピレーションソースとした、細密な彫刻が施された翡翠のペンダントもこの時代の人気スタイルの一つです。
1930年代には二つのトレンドが見られます。ひとつはサイズの拡大で、中央に一石の宝石を配し、様式化をより強調したデザインが特徴でした。
もうひとつは、繊細で曲線的かつ女性的なデザインの復活です。19世紀以前のデザインとアールデコ様式が融合し、花やリボンのモチーフなどが多く用いられました。
おわりに
フランスのアンティークジュエリー史概要を2回にわたってお届けいたしましたが、いかがでしたでしょうか。
「あの時代の章にこのスタイルが入ってないよ」「そのデザインはこの時代にもあるよ」「こういう素材も使われているよ」などのご指摘がたくさん聞こえてきそうです。記事の長さに限りがあるため、極限まで要点を絞らせていただきました。どうぞご容赦ください。
皆さまが今後アンティークジュエリーとお付き合いされていく上で、本記事が少しでもお役に立てれば幸いです。
堅苦しい内容にも関わらず、最後までお読みいただき、ありがとうございました!