アンティーク クロスオーバーリングとは?
Bonjour 皆さん!オーナーのラファエルです。
アンティークジュエリー、特にアンティークリングの世界には、モダンジュエリーと呼び名が異なるデザインがいくつかあります。さらに、日本と欧米で通称が異なるケースもありますので、少し混乱してしまうこともあるかもしれませんね。
本記事では、その代表的な例として「クロスオーバーリング」を取り上げることにしました。また、呼び名に関することだけでなく、その歴史や象徴性なども詳しくご紹介いたしますので、ぜひ最後までお楽しみください。同じようにアンティークリングの呼び名に着目した記事として、『アンティークリングの少しややこしい話』も公開されていますので、ご興味のある方はお読みになってみてください。
目次
- クロスオーバーリングとは
- もう一つの呼び名「バイパスリング」
- クロスオーバーリングの歴史
- クロスオーバーリングが象徴するもの
- おわりに
1.クロスオーバーリングとは
クロスオーバーリングの英語表記は"Crossover Ring"、フランスでは"Bague Croisée"という呼び名が使われます。その意味するところは同じですので、とりあえず日本でもポピュラーな英語表記にフォーカスしましょう。"Crossover"は、「交差」や「異なる分野の混じり合い」などを指す言葉です。ジャズとロックが融合したクロスオーバー・ミュージックや、SUVと他の車体タイプの利便性を兼ね備えたクロスオーバー車などの表現は日本でも一般的に使われていますね。
ジュエリーデザインにおけるクロスオーバー(Cross Over)は、この「交差」から名づけられたデザイン名で、モダンジュエリーにおいては、主に以下のようなスタイルのリングに用いられています(これが本来の語源上のデザイン)。
モダンジュエリーのクロスオーバー・スタイル
シャンクが重なり合うように交差していますので、「クロスオーバー」という言葉がしっくりきますね。"X shape Crossover"などと呼ばれる、X字に交差するデザインのリングもあります。
モダンジュエリーのクロスオーバー・スタイル(X字交差タイプ)
なお、モダンジュエリーの世界では、「クロスオーバーリング」という呼び名は「クリスクロスリング(Criss-Cross Ring)」とほぼ同義で使われることが多いことにも留意してください。
アンティークジュエリーに馴染みのある方でしたら、これらのデザインを見て、「あれ?自分のイメージしているクロスオーバーリングと違うな」と感じられるのではないでしょうか。本記事冒頭で写真を掲載したベルエポックのリングこそクロスオーバースタイルであると認識されていると思います。
このように、「クロスオーバーリング」が指すデザインは、モダンジュエリーとアンティークジュエリーでかなり違いがあるのです。
「シャンクが閉じた円を構成せず、ショルダー部がカーブを描くように伸びて、上面で交差するリングデザイン」が、アンティークリングにおける定義です。少し分かりづらいかと思いますが、この「交差」がミソ。立体的に重なり合う交差ではなく、指の上面で離れて交差するイメージを指しています。左右ショルダーの先端が結びつくことなくすれ違う、というイメージです。多くの場合、それぞれの先端が宝石や台座に連なっていますが、1個または複数の宝石を両ショルダーが挟み込むようなデザインも多く見かけます。馴染みの無い方は言葉だけではイメージしづらいかもしれませんので、実際にアンティークのクロスオーバーリングを見てみましょう。
このように、トワエモワリングに多く見られるデザインではありますが、単石で構成されたクロスオーバーリングも少なくありません。カーブしているショルダーがダイヤモンドなどの宝石で飾られていることが多いのも、このタイプのリングの特徴といえるでしょう。
なお、実はフランスでは先ほどご紹介した"Bague Croisée"(クロスオーバーリング)という呼称をさほど使用しません。現地では非常にポピュラーなデザインであるため、わざわざ特別な呼称を使う必要がないということのようです。むしろ、「トワエモワ」など、異なる側面の呼称を使用するのが一般的。この呼称が使われるのは、主にモダンジュエリーにおいてデザイン上の特徴を際立たせたいときであり、アンティークの文脈ではあまり一般的ではありません。
クロスオーバーリングはかなりバリエーションに富んでいます。例えばフランスで"toi et moi volutes"(渦巻き状のトワエモワ)や"Bague décor en S"(S字装飾のリング)と呼ばれる以下のタイプのトワエモワも、クロスオーバーリングの一種です。
2.もう一つの呼び名「バイパスリング」
イギリスや米国では、(アンティークという文脈での)クロスオーバーリングを「バイパスリング(Bypass Ring)」と呼ぶことがあります。「離れて交差する」という部分に力点を置いた呼び名といえるでしょう。"Bypass"には「迂回する」という意味とともに、「すれ違う」という意味合いもあるのです。ちなみに、日本ではクロスオーバーリングの代わりにこの「バイパスリング」という表現が使われることはほとんどありません。
クロスオーバーリング同様、「バイパスリング」が指すデザインも、モダンジュエリーでは少し異なります。モダンジュエリーでは、シャンク(ショルダー)がカーブせずストレートな形状になっていることも多く、両ショルダーで宝石を挟み込んでいないシンプルな構成で制作されていることも珍しくありません。
モダンジュエリーのバイパス・スタイル
対して、アンティークジュエリーにおいては、クロスオーバーリングと同じ意味合いで使われることがほとんどです。クロスオーバーリングを包含するより広い概念といえなくもありませんが、そのスタイルが明確に定義されている用語でもありませんので、「アンティークジュエリーにおいては、クロスオーバーリングもバイパスリングも同じものを指す」との認識で問題ないと思います。そもそも日本ではアンティークリングの呼称としてこの言葉にお目にかかることはまずありませんので、あえて気にする必要はないともいえるでしょう。
少しややこしくなってきましたが、以下のアンティーク・クロスオーバーリングをご覧いただければ、「バイパス」という呼び方も腑に落ちるのではないでしょうか。
3.クロスオーバーリングの歴史
クロスオーバーリングの発祥については曖昧な点が多く、実ははっきりとしたことは分かっていません。多くの書籍や解説では「ヴィクトリア時代に始まり」、とかなり幅のある時代で書かれており、私自身もさまざまな資料を参照したものの、詳細な年代に関する明確なエビデンスは見つかりませんでした。いずれの資料にも共通して見られるのは、クロスオーバーリングの流行が19世紀末頃に始まったという点です。
それなりにオーソリティのあるフランスおよびイギリスのアンティークジュエリーサイトで、販売されている19世紀のクロスオーバーリング(主にトワエモワ)について、年代を調べてみました。多くが1880年頃、もしくは1890年頃のものとされており、最古の提示年代は1850年代でした。オールドマインカットのダイヤモンドや台座・ショルダーのシルバー装飾は提示されている年代と矛盾しませんが、スタイルそのものは19世紀末のものと大きな違いはありませんでしたので、少し眉唾な感じです。もっともらしい来歴が記載された1865年とされるリングも、ミルグレインが施されたプラチナ装飾やダイヤモンドのカットスタイルなどを見ると、その年代とするのはかなり厳しい感じがします。
また、19世紀半ば頃にフランスのジュエリークィーン&インフルエンサーであったウジェニー皇后(ウジェニー皇后については、アンティーク物語『ウジェニー皇后とジュエリーの煌めき』をご参照ください)がこのスタイルの指輪を所有していたという情報も全くありません。19世紀半ば頃に既に作られていたということを完全に否定するものではありませんが、私としては、やはり1880年頃を起源とするのが妥当なのではないかと考えています。
起源については、年代と同様に、発祥の地も明確には分かっていません。ただし、クロスオーバーリングとトワエモワリングは切っても切り離せない関係にありますので、トワエモワが生まれた国であるフランスこそが、クロスオーバーリングという様式を生み出し、育ててきたと考えるのが自然でしょう(トワエモワの歴史についてはアンティーク物語『トワエモワとセレブリティ』をご参照ください)。
ナポレオン1世がジョセフィーヌ皇后に贈った婚約指輪(トワエモワ)
クロスオーバーリングの流行が始まった1880年頃は、まさにアールヌーボーの創成期。のちにアールヌーボー建築の旗手となるベルギーの建築家ヴィクトール・オルタが活動を始め、ほどなくしてイギリスでアーツ・アンド・クラフツ運動の流れを汲む芸術家たちが、アールヌーボー運動に結びつく新しい装飾様式の探求を始めました。1880年代半ばには、アールヌーボーの主要な推進者であるエミール・ガレやルネ・ラリックらが、自然主義的なジュエリーの制作を始めています。
アールヌーボーの流れるようなラインは、シャンクやショルダーのカーブが絡み合うクロスオーバーデザインと非常に相性が良いスタイルです。アールヌーボー期には、柔らかな曲線を生かしたクロスオーバーリングが多く制作され、芸術性と象徴性を兼ね備えた作品として高く評価されました。また、この芸術運動の主要な理念である「自然界への回帰」も、クロスオーバーリングのデザインに深く関わっています。葉や蔓などの自然界のモチーフが取り入れられ、自然の美を表現したデザインが多く生み出されたのです。
この時代にジュエリーの素材としてプラチナが広く使われるようになったことも、クロスオーバーリングの発展に大きく貢献しています 。プラチナは、その強度と加工のしやすさから、より繊細で複雑なデザインを実現するのに適しており 、クロスオーバーリングの繊細な構造にぴったりの素材だったのです。当店のこのタイプのリングにも、ほぼ全てといっていいほどプラチナで装飾されています。
オールドヨーロピアンカットのダイヤモンドと天然真珠のトワエモワリング
1920年代以降、アールデコ期に入ると、デザインは一転してモダンになり、直線や斜線を用いた幾何学的なものになります。アールデコ期における色使いのポイントは、シンプルで強いコントラスト。そのため、エメラルド・サファイア・ルビーなどの鮮やかな色石もアクセントとして効果的に取り入れられました。
この時代のクロスオーバーリング(特にトワエモワ)には、ダイヤモンドとエメラルドやルビーなどの色石を対にしたデザインがしばしば見られます。このような大胆で洗練された色彩とフォルムの組み合わせは、アールデコ期ならではの特徴といえるでしょう。素材はホワイトゴールドやプラチナが主流ですが、後期にはイエローゴールドを多用した作品も登場します。この傾向は、1940年代以降のレトロ期にも引き継がれていきました。
4.クロスオーバーリングが象徴するもの
アンティークのクロスオーバーリングは、愛やパートナーシップを象徴する特別なジュエリーです。2本のショルダーが交差するデザインは、2人の人生や心が重なり合う様子を表現したもの。まるで手を取り合うかような、深い絆を目に見えるかたちで表しているのです。さらに、リング全体が描く円は永遠や完全さを意味し、愛が時を越えて続いていくことを暗に伝えています。こうしたメッセージ性が、婚約やプロミスリングとして人気を集める理由のひとつです。※婚約指輪の歴史などについては、アンティーク物語『婚約指輪の起源と変遷:アンティークに映る、愛の文化史』をご参照ください。
西洋のジュエリー文化において、宝石に込められている意味を見てみましょう。ダイヤモンドは永遠の愛と強さ、サファイアは知恵と誠実さ、エメラルドは再生と豊穣、ルビーは情熱と守り、オパールは創造性と希望、真珠は純粋さと知恵を表すとされています。異なる石が留められたクロスオーバーリングでは、2つの宝石がそれぞれの個性を表現し、その組み合わせによって2人だけの物語が生まれることを象徴しているのです。例えば、ダイヤモンドとサファイアなら、強さと誠実さが調和した関係を表しているといえるでしょう。
交差するシャンクは、お互いを支え合いながらも、それぞれの自律性や個性も大切にしている関係を感じさせます。二人の世界を持ちながらも、自分という個も尊重される、そんなバランスの良い関係を語っているのです。アンティークのクロスオーバーリングは、2人の絆や人生の交わりをかたちにしてくれる存在です。長い時を超えて、静かに愛を伝え続けてくれることでしょう。

5.おわりに
普段何気なく使っているジュエリー用語も、少し掘り下げてみると興味深い背景がいろいろ見えてきます。
クロスオーバーリングは、特にフランスのアンティークジュエリーがお好きな方にとっては馴染み深いジュエリーかと思いますが、意外と謎な部分も多いアイテムです。国によって異なる呼び名、その起源、などなど。特に起源に関しては、19世紀末~20世紀初頭に一世を風靡した超メジャーなスタイルであるにも関わらず、その出自がはっきりしないのは少し不思議に感じます。
愛と結びつきを象徴するスピリチュアルなリングだからこそ、少し謎を残すくらいがちょうど良いのかもしれませんね。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!