エジプトマニアとアンティークジュエリー

Bonjour 皆さん!オーナーのラファエルです。

時代背景や素材、デザインなど、アンティークジュエリーの魅力は、一言では語りきれません。見た目の美しさという点では素材やデザインが大きな役割を担っていますが、やはり時代背景という知的好奇心をくすぐる要素は見逃せないでしょう。それは、例えばワインの魅力が味や香りだけでなく、テロワールや品種、天候など、ボトルの背景にある物語を知ることが、より一層ワインの味わいに深みを与えてくれることに似ています。

時代背景を構成する要素は多種多様です。ネオ・クラシシズムやアールヌーボーなどの芸術運動もあれば、貴金属や貴石の新しい鉱山の発見、産業革命や新しいライフスタイルの台頭など、その例は枚挙にいとまがありません。本記事では、19世紀から20世紀初頭のアンティークジュエリー史において幾度も登場するエジプトマニア(エジプトブーム、エジプト熱)をご紹介いたします。

目次

  1. エジプトマニアとは
  2. エジプシャン・リバイバルとエジプトマニア
  3. エジプトのモチーフ
  4. エジプトマニアの歴史
    ・ナポレオン1世のエジプト遠征
    ・ヒエログリフ(象形文字)の解読
    ・コンコルド広場のオベリスク建立
    ・スエズ運河建設
    ・ターンオブザセンチュリー期
    ・ツタンカーメン王墓の発見
  5. おわりに

1.エジプトマニアとは

古代エジプト文明は古くからヨーロッパ人のあこがれの的でした。ヨーロッパ人がイメージしてきた古代エジプトは必ずしも史実に基づいたものではなく、「エジプトという幻想」と呼ばれることさえあります。以下の少し詩的な文章は仏Le monde誌からの抜粋ですが、このヨーロッパ人の感覚を的確に表現しているように思います。

エジプトはヨーロッパが生み出したものであり、最も古く、最も身近な異郷、そして最も長く、複雑に入り組んだ夢の一つである。その起源は25世紀前に遡る。ギリシャの商人たちがナイルデルタに上陸した時、アテネの哲学者たちがこの奇妙な民族の神々や慣習に関心を抱いた時から始まったのだ。誇張された物語、不正確な報告、不確かな解釈から、「エジプト」と呼ばれるこの幻想が生まれた。それは以来、繁栄し、その姿を変え続けている。

「エジプトマニア(Egyptomania、仏語Egyptomanie)」とは、古代エジプトに対する熱狂的な憧憬や関心の高まりを表す言葉です。〇〇マニアという表現は、日本では多くの場合「〇〇に熱狂する人、○○が好きな人」のように、ファンや愛好家を指す表現として使われますが、欧米では多くの場合、熱狂やブームという社会的な現象を指します。例えば、Beatlemaniaという言葉が指すのはビートルズファンではなく、「ビートルズのファンたちの激しい熱狂」という現象です。

エジプトマニアは、このビートルマニアと同様に「エジプトファン」を指すものではなく、古代エジプトの文化、芸術、建築などへの強い関心や熱狂を表します。最も力強かったのは、本記事で解説する19世紀~20世紀初頭ですが、古代ローマ時代、ルネサンス期、18世紀にも古代エジプトへの憧憬や関心は存在していました。特に18世紀後半には、マリー・アントワネットが古代エジプトに強い関心を寄せ、家具や住居の装飾にそのモチーフを取り入れていたほどです。

マリーアントワネットの肘掛け椅子マリーアントワネットの肘掛け椅子(1788年頃) 出典:メトロポリタン美術館

この現象は必ずしもフランス特有のものではなく、ヨーロッパ全体、後のアメリカにも広がったグローバルなものです。ただし、その流行のきっかけとなった出来事(ナポレオン1世のエジプト遠征や、スエズ運河建設など)の多くがフランス由来のものであることには留意してださい。日本では語学的な慣習によりどうしても英語圏の情報が前面に出てしまいますが、アンティークジュエリー同様、実は本来の起源はフランスなのです。

ナポレオンのエジプト遠征からツタンカーメン王墓発見まで、繰り返し起こった古代エジプトへの熱狂「エジプトマニア」。この時期、スカラベなどのエジプトモチーフが数々のジュエリーを飾りました。本記事では、このエジプトマニアの背景にある歴史的出来事や、影響を受けたエジプト風ジュエリーをご紹介します。

2.エジプシャン・リバイバルとエジプトマニア

エジプトマニアはジュエリーのデザインにも大きな影響を与えました。とはいえ、当時のジュエリーデザイン全てがエジプト風に変化したわけではありません。エジプトをインスピレーションソースとした特徴的なデザインを持つジュエリーが一定数制作された、という表現がより適切でしょう。アンティークジュエリーに親しんでいる方であれば、一度はスカラベや古代エジプトの女性像など、エジプトモチーフのジュエリーをご覧になったことがあるのではないでしょうか。

これらのジュエリーは、英語圏(及び日本)では「エジプシャン・リバイバルジュエリー(Egyptian Revival Jewelry)」と呼ばれます。フランスでは、シンプルに「(古代)エジプトに着想を得たジュエリー」(bijoux inspirés de l’Égypte ancienne, bijoux d’inspiration égyptienne」や、「エジプトスタイル(style égyptisant, style Néo-Egyptien )」と表現すること多いです。

なお、エジプシャン・リバイバルジュエリーは、スカラベリングなど一部のものを除き、必ずしも古代エジプト時代に制作・使用されていたジュエリーをそのまま再生したものではありません。


ツタンカーメン王墓から出土した古代エジプトジュエリー

ツタンカーメンの王墓から出土した古代エジプトジュエリー 出典:Wikimedia commons

エジプシャン・リバイバルジュエリーは、本来の意味での古代エジプト様式とは異なり、エジプトのモチーフをデザインに取り入れた、表層的な「エジプシャン・ジュエリー」にどまっていました。あくまでも「エジプト風」「エジプト趣味」と表現すべきもので、同じ「リバイバル」であっても、エトルリアを中心に古代ジュエリーの技法や様式を忠実に再現し、「エトルリア・リバイバル」とも呼ばれたジュエリーを制作したカステラーニのアプローチとは異なるものなのです(19世紀イタリアのジュエラー・カステラーニについては、アンティーク物語『カステラーニ家: 19世紀宝飾界の巨匠たち』をご参照ください)。リバイバルという表現には、過去の様式をインスピレーションソースとして新しいスタイルを生み出すこともたしかに含まれますが、エジプシャン・リバイバルに関しては、その本質から少し外れているように感じることもあります。

3.エジプトのモチーフ

エジプトマニアの趣向を取り入れたアンティークジュエリーで使用されているエジプトのモチーフをいくつかご紹介いたします。

スカラベ

糞を転がして球状にするスカラベ(コガネムシの一種)の行動は、古代エジプトでは神秘的なものとされていました。この球体が太陽に重ねられ、糞を転がす姿が太陽の運行を連想させることから、太陽神と同一視され、再生、復活、創造のシンボルとされたのです。フランス買い付け時にも見かけることの多いエジプトのモチーフです。

パピルス

カヤツリグサ科の植物で、その地上茎の内部組織から作られた紙はパピルス紙と呼ばれます。パピルスは文字を記録するための主要な素材であり、社会、宗教、文化の発展に不可欠な役割を果たしました。モチーフとなるのは、放射状に広がっていて花のように見える葉の部分です。エジプト趣向のアンティークジュエリーでは、ペンダントやイヤリング、ハットピンなどにこのモチーフが見られます。

古代エジプトでは、蛇はファラオ(王)と永遠を象徴すると同時に、地中に潜って再び現れる姿から、再生のシンボルとも考えられていました。サラベルナールの蛇のブレスレット(デザイン:アルフォンス・ミュシャ、制作:ジョルジュ・フーケ)は、彼女の舞台『メディア』のポスターにも登場する、アールヌーボー期の傑作ともえいるジュエリーです。

睡蓮

古代エジプトにおいて、睡蓮、特に青い睡蓮は重要な宗教的・文化的シンボルとして広く用いられています。複数の神話において、睡蓮は太陽神ラーなどの神々の誕生を象徴していました。また、再生と復活、創造と誕生、純粋さと美しさを象徴するものとして深く尊ばれてきた歴史も持っています。幾何学的デザインと親和性が高かったため、特にアールデコ期のジュエリーで人気でした。

アンク(ankh)

十字の上に楕円形の環を持つ古代エジプトの象形文字で、「生命」を意味する言葉です。生命を維持し、死後の世界で魂を再生させる力を持つと信じられていました。古代エジプトでは様々な装飾モチーフとしても用いられています。エジプシャン・リバイバルジュエリーでは、主にペンダントに使用されました。

ホルスの目(ウジャト)

ホルスの目は、エジプト神話に登場する隼の頭を持つ神、ホルスの右目を象徴しており、古代エジプト語で「完全なもの」「損なわれていないもの」という意味を持ちます。その美しいデザインと象徴的な意味から、ジュエリーやアートのモチーフとして人気がありました。身につけることで、保護や治癒の力を得られるとされています。

古代遺跡系(スフィンクス、ピラミッドなど)

だれが見ても古代エジプトを連想する、スフインクスやピラミッドなどの古代エジプト遺跡由来のモチーフも、数多くのエジプト風ジュエリーに登場します。ツタンカーメン王墓の発見以降は、ツタンカーメンの黄金のマスクも人気でした。これらのモチーフを使用したジュエリーは、美術品というよりは、大衆的な魅力を持つ装飾品として、1920年代のアールデコ期を中心に広く人気を博しました。

他にもナツメヤシ、ヒエログリフ(古代エジプトの象形文字)、神々の姿、鳥、発掘により出土した壁画をモデルにしたいろいろなモチーフ(特に女性像)など、多種多様なエジプト風モチーフがジュエリーを彩りました。

エジプトのモチーフを使用したジュエリーエジプトのモチーフが使われたジュエリー(一部古代のもの含む)

4.エジプトマニアの歴史

古代エジプトへの熱狂やあこがれ「エジプトマニア」は、歴史の中で何度も盛り上がりを見せました。それぞれのブームは偶然生まれたものではなく、エジプトへの関心を高める歴史的な出来事に支えられていたのです。ここでは、エジプトマニアの契機となった19世紀以降の出来事をご紹介いたします。
※アンティーク物語『フランスのアンティークジュエリー史概要(前編)』『フランスのアンティークジュエリー史概要(後編)』をお読みいただくと、同時期のアンティークジュエリーに関する他の時代背景も併せてご確認いただけます。

ナポレオン1世のエジプト遠征

ヨーロッパではルネサンス期や18世紀にも古代エジプトへの関心が強まりましたが、その関心を「熱狂」「情熱」と呼ぶことのできるレベルにまで押し上げたのは、1798年から1801年にかけて行われたナポレオン1世(ナポレオン・ボナパルト)のエジプト遠征です。

ナポレオンが遠征した目的は軍事的なものだけではなく、エジプトを調査することも含まれていました。150人以上の学者、芸術家、科学者などをエジプトに帯同させています。遠征の成果は学者たちによって『エジプト誌』("Description de l'Égypte"、1809年-1822年)にまとめられ、古代エジプトの詳細な記録と美しい図版がヨーロッパに広まりました。軍事的には敗北に終わったものの、この成果によりエジプト遠征は「真の成功」を収めたという評価を受けています。

非常に迷信深かったナポレオンは、エジプト遠征から持ち帰ったスカラベの護符を身につけていました。さらに、1813年のドレスデン戦の際に乗っていた馬が受けた砲から、裏に事件の日付が刻まれたスカラベを作らせています(のちに愛人マリア・ヴァレフスカに贈っています)。

ナポレオンが作らせたエジプト風のジュエリーを一つご紹介しましょう。”Napoleon’s Talisman”と呼ばれているもので、スフィンクスを象った護符です(離婚後に元妻ジョゼフィーヌのために作らせたという説もあります)。水晶を中心にルビーやエメラルドなど114個の宝石で装飾され、エジプト神話の女神イシスや薔薇十字団の象徴なども含んでいます。その歴史的価値は非常に高く、約2億5千万ドルと評価されているほどです。

Napoleon's TalismanNapoleon's Talisman

ヒエログリフ(象形文字)の解読

ナポレオンのエジプト遠征中に発見されたロゼッタストーンには、ヒエログリフ(古代エジプトの象形文字である神聖文字)、デモティック(民衆文字)、ギリシア文字という3種類の文字が刻まれていました。

3種の文字いずれも同じ内容が記載されていたため、ギリシア文字部分の翻訳完了(1803年)を契機にヒエログリフの解読の研究が進み、約20年後の1822年にジャン=フランソワ・シャンポリオンがヒエログリフ文字の解読に成功したと宣言します。

ヒエログリフの謎の解明が人々のエジプトに対する新たな関心の扉を開き、エジプトマニアが再燃しました。

セティ1世の墓から出土したヒエログリフセティ1世の墓から出土したヒエログリフ 出典:Wikimedia Commons

コンコルド広場のオベリスク建立

フランス、特にパリがお好きな方であれば、オベリスクをきっとご存じでしょう。コンコルド広場の中心に立つオベリスクは、有名な観光スポットであり、パリの景観を象徴する存在です。

オベリスクは、エジプトのルクソール神殿に一対で建てられた記念碑で、古代エジプトの栄華を今に伝える存在でした。1830年に当時エジプトを支配していたムハンマド・アリー・パシャがその片方をフランスに贈ることを宣言し、1836年に大きな祝賀のもとコンコルド広場に建立されました。

この巨大な記念碑の壮麗さは、当時の芸術家たちにも大きな影響を与え、多くの人々にインスピレーションを与える象徴的存在となります。その影響はジュエラーたちにも及び、やがてパリの一流宝飾店のショーウィンドウには、エジプトをテーマとするジュエリーが並ぶようになりました。

オベリスクを象ったペンダント(19世紀中頃)オベリスクを象ったペンダント(19世紀中頃) 個人蔵

スエズ運河建設

フランスの外交官フェルディナン・ド・レセップスが主導したスエズ運河の建設は、ヨーロッパとアジア間の航路の大幅な短縮を目的としたものです。1859年に始まり、1869年に完成しています。

この建設は、エジプトを世界の貿易の中心地にすることも目指していました。建設途中の時期にもエジプトへの関心が非常に高まり、完成前の1867年のパリ万博において、ブシュロンなどのグランメゾンがエジプトをモチーフとしたジュエリーを出展したほどです。

スエズ運河の完成により、地中海と紅海がつながりました。エジプトへのアクセスが容易になったことでヨーロッパとエジプトが物理的に結びつき、人々のエジプトに関する関心をさらに掻き立てることになったのです。

19世紀後半には、カルロ・ジュリアーノなどの著名ジュエラーたちがエジプトモチーフの作品を展開していきました。この時期からアールデコ期までが、エジプシャン・リバイバルジュエリーの黄金時代といっていいでしょう。

エジプト趣味のネックレス(カルロ・ジュリアーノ作)エジプト趣味のネックレス(カルロ・ジュリアーノ作、1865年頃) 出典:メトロポリタン美術館

ターンオブザセンチュリー期

アートやジュエリーの世界において「ターンオブザセンチュリー」は、多くの場合19世紀末から20世紀初頭の約20〜30年間を指します。フランスのアンティークジュエリー史において、ほぼアールヌーボーやベルエポックに相当する時代です。

この時期もエジプト遺跡の調査は続き、ダハシュールにおける王墓の発掘やアビュドスでの初期王朝墓の発見、そして王家の谷における数々の新王国時代の王墓発見など、古代エジプトに関する重要な発見が相次ぎました。

ジュエリーの流行がアールヌーボーへと向かう中でも、エジプトマニアの熱は衰えることなく続いていきます。アールヌーボーの作品において、スカラベなどのエジプト風モチーフは多く採用されました。先にご紹介した、サラベルナールの蛇のブレスレットも、エジプトモチーフを使用したアールヌーボー作品の典型的な例といえるでしょう。

サラ・ベルナールの蛇のブレスレットサラ・ベルナールの蛇のブレスレット 出典:Wikimedia Commons

スカラベとハープのアメジストブローチスカラベとハープのブローチ(アメリカ、1900年頃) 出典:メトロポリタン美術館

ツタンカーメン王墓の発見

エジプト考古学者のハワード・カーターがツタンカーメン王の墓を発見したのは1922年のこと。エジプトの遺跡発掘の歴史の中でも、特に注目を集めた発見でした。ツタンカーメン王の墓には、4000点以上もの副葬品(黄金のマスク、家具、武器、衣類など)がそのまま残されていました。特に黄金のマスクは、その精巧さと美しさから「古代エジプト美術の最高傑作」とも称され、皆さまご存じの通り現在でもツタンカーメンの象徴として広く知られています。王墓から出土した財宝の数々は、エジプトマニアを熱狂状態へと押し上げ、エジプト趣味のジュエリーに関する需要を一層強固なものにしました。

ツタンカーメン王の墓が発見された1922年は、まさにアールデコが花開いた時代(1920年頃~1940年頃)の黎明期です。古代エジプト美術は、対称性や幾何学的なパターン、象徴的なモチーフの採用(「エジプトのモチーフ」の章でご紹介したアンクやホルスの目など)を特徴とします。これらの特徴は、アールデコの直線的で洗練された、幾何学的で象徴的なデザインと親和性が高く、この時代のエジプト風ジュエリーの人気にも寄与していたといえるでしょう。

エジプトマニアは、アールデコの全期間を通じて勢いを保ち続け、カルティエやヴァン クリーフ&アーペルなどのグランメゾンはエジプトのモチーフを取り入れたジュエリーを数多く発表しました。彼らのエジプト風ジュエリーは、単なる流行を超え、アールデコの核心的な美学を体現する作品として現在でも高く評価されています。

カルティエのスカラベブローチカルティエのスカラベブローチ(1925年)

おわりに

エジプトマニアとアンティークジュエリーに関する歴史を駆け足でご紹介いたしましたが、いかがでしたでしょうか。

まだまだお伝えしたいことは尽きませんし、ご紹介できなかった歴史的ジュエリーも数多くあります。記事ボリュームの制限や著作権の関連ですべてを網羅することはできませんでしたが、少しでもこの魅力的な世界への興味を深めていただけたなら幸いです。特にアールデコ期におけるグランメゾンのエジプト風ジュエリーの素晴らしさは目を見張るばかりですので、ぜひネット検索等でご覧になってみてください。

それではここで筆を置かせていただきます。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!