カステラーニ家: 19世紀宝飾界の巨匠たち
Bonjour 皆さん!オーナーのラファエルです。
アンティークジュエリーの世界において、19世紀はリバイバルの時代といえるでしょう。ここでの「リバイバル」とは、過去のジュエリースタイルをインスピレーションソースとし、新しいジュエリーを制作すること。少し堅苦しい表現では「折衷主義」とも呼ばれ、異なる時代や文化の長所を抽出し、斬新で独自のデザインを生み出すことを特徴としています。
ナポレオン一世時代のネオ・クラシシズム(新古典主義)、王政復古&七月王政期に花開いたネオ・ゴシック様式やネオ・ルネッサンス様式などはご存じの方も多いかもしれません。大のマリーアントワネットファンであったウジェニー皇后の18世紀回帰もこの時代のリバイバルの一つといえます。時代に合った全く新しいスタイルを(ほぼ)さらの状態から創り出そうとするアールヌーボーやアールデコとはジュエリーに対する取り組みが異なる時代でした。
本記事でご紹介するのは、そんな19世紀に一世を風靡したイタリアのジュエラー一家、カステラーニ家です。エトルリアを中心とした古代宝飾品のリバイバルで、特に19世紀後半のジュエリー制作において頂点を極めました。ネオ・エトルリア(neo-etruscan)宝飾の先駆者と呼ばれることもあります。日本ではさほど馴染みがない名前かもしれませんが、19世紀アンティークジュエリー界の重鎮、大家(たいか)と呼んで差し支えないでしょう。
彼らはどのようなスタイルのジュエリーを制作していたのでしょうか。ローマのヴィラ・ジュリア国立博物館に収蔵されているカステラーニ家のジュエリーをまずご覧ください。古代ジュエリーのレプリカも含まれます。
出典:スプリンガージャーナル
想像以上に、いかにも古代なイメージ。このようなスタイルのジュエリーが19世紀後半のヨーロッパジュエリー市場を席巻したのです。ナポレオン3世時代のフレンチジュエリーをご存じの方にとっては、「なるほど」と思われるスタイルかもしれませんが、ヴィクトリアン系の19世紀ジュエリーに慣れ親しんでいらっしゃる方にとっては驚きがあるかもしれません。
事前に知っておくと本記事が読みやすくなるトピックが二つありますので、最初にご紹介いたします。本記事をサッと流し読みしたいだけという方は、以下「基礎知識~」の章をスキップしていただいても大丈夫です。
基礎知識① グラニュレーションとフィリグリー
いずれも古代から伝わる金細工の技法です。
「グラニュレーション」とは、小さな金の粒を台座などの上に並べてロウ付けするも技法。粒金細工とも呼ばれます。「フィリグリー」は、伸ばして細い糸状にした金や銀などの貴金属を巻きつけたり、撚ったり、編み込んだり、曲げたり、プレートにロウ付けしたりして作り出す繊細な細工です。
古代ジュエリーの多くはこれらの技法を使用していました。カステラーニ家は特にエトルリアのグラニュレーション細工の秘密を再発見するという困難な課題に熱中していたことで知られています。
グラニュレーションやフィリグリー細工をご覧になったことのない方は、アンティーク物語『フィリグリーの歴史(1)誕生と古代』をお読みになってみてください。長編でボリュームがありますので、登場する写真とその下の解説にだけ目を通していただければ十分です。
基礎知識② カンパーナコレクション
イタリアの教皇庁貯蓄銀行の理事であるジャンピエトロ・カンパーナ侯爵(1809-1880)が主に1830年代から1850年代にかけて収集した美術品のコレクション。英語で"Collection Campana"と呼ばれています。
古代(主にエトルリア、古代ギリシャ、古代ローマ)のオブジェ、絵画、彫刻、宝飾品など12,000点以上からなる伝説的なプライベートコレクションでした。エトルリア、ギリシャの古代ジュエリーも数百点含まれており、カステラーニ家はこのコレクションを研究することにより、古代スタイル復興の先駆者となりました。
カンパーナ侯爵は1857年に横領で有罪判決を受け、コレクションは教皇領により押収されます。その後、1861年にナポレオン三世がコレクションの大部分をフランス政府のために購入し、ルーヴル美術館に収蔵されることになりました。現在でもルーヴルの古代ギリシャ・エトルリア・ローマ美術部門でその一部を見ることが出来ますので、訪問される機会があればぜひお立ち寄りください。ジュエリー系の作品は主にシュリー翼とドゥノン翼に展示されています。
カンパーナコレクションの古代ジュエリー
カステラーニ家の歴史や業績をどのようなスタイルでご紹介するか、少し悩みました。カステラーニ「家」とあるように、何人かの登場人物がいます。それぞれが一家の発展と成功において重要な役割を果たしました。また、一家の活動や生涯には数多くのイベントが起きています。「波乱万丈」といえるほどです。これらを全て羅列していくと内容が散漫になり、かえって全体像がつかみにくくなるかもしれません。
そこで、細かい出来事はできるだけ省略し、時系列的な歴史に関しては簡単なサマリーにとどめることにしました。その後、あらためて古代ジュエリーのリバイバルに関する一家の成果をご紹介いたします。
ちなみにカステラーニ家の主要人物は、創業者であるフォルトゥナート・ピオ・カステラーニ(1794–1865)、長男のアウグスト、次男のアレッサンドロ、アウグストの息子アルフレドとトルクアートの5名です。
それではまずカステラーニ家の歴史をざっとご紹介いたします。
カステラーニ家の歴史
■フォルトゥナートが1814年にローマで工房(宝飾店)を開く。ヨーロッパ各地から輸入した豪華な金細工品の販売やジュエリーの制作を行っていた。この時期はその当時のフランスやイギリスの流行に沿ったものがメイン。
Fortunato Pio Castellani
■1826年にミケランジェロ・カエターニ侯爵(美術愛好家であり、自身もジュエリーデザイナーであった)と出会う。ミケランジェロはカステラーニに、発掘された古代の宝飾品を模倣し、そこからインスピレーションを得るよう促した。 このサジェスチョンが契機となり、フォルトゥナートは1830年代初頭から古代スタイルのジュエリーを作り始める。
■1836年にエトルリアのレゴリーニ=ガラッシ墓が発見された際、教皇庁が墓から発掘されたジュエリーを調査・研究するようフォルトゥナートに依頼。
■数人いる子供たちの中から、アレッサンドロとアウグストを後継者(ジュエリー職人・金細工師)に選定。
■1840年に古代の技術を向上させ応用することを目的とした金細工師の学校を設立。また、地方の貴重な装飾品を収集し保存することで、伝統的な金細工の保護を進めた。
■1840年と1850年、ピエトロ・カンパーナ侯爵が収集した膨大な古代遺物コレクション(前述のカンパーナコレクション)にアクセスすることを許可される。古代の品々からインスピレーションを得て、失われていたグラニュレーションやその他の古い加工技術を再現し、さらにそれらを改良していった。
■1852年にフォルトゥナートが引退。事業を二人の息子に託す。
■1859年、カステラーニ家は5ヶ月間にわたり、教皇領がカンパーナ侯爵から押収したカンパーナコレクションの修復とカタログ作成に従事。
ゴールドブレスレット(カステラーニ作)
■アレッサンドロは、自由主義的な政治にのめり込んだことから投獄され、1860年にフランスに亡命。ローマの店はアウグストが引き継ぐ。アレッサンドロはパリ(シャンゼリゼ)とロンドンに支店を開設し、事業を大幅に拡大するとともに国際的な名声を高める。顧客リストには、ナポレオン3世やルーヴル美術館、大英博物館などの名も。
■カステラーニ家の名声は1870年前後に頂点に達する。1867年のパリ国際展示会では、ほぼ全てのジュエラーが古代スタイルのジュエリーを展示していた。
■1880年、アウグストの息子アルフレドとトルクアートがローマの店舗を引き継ぐ。
■1883年にアレッサンドロが亡くなる。
■1912年、アウグストは芸術的ジュエリーの分野での功績が認められ、イタリア労働騎士十字勲章を授与される。
■1930年代に アルフレドとトルクアートが亡くなり、カステラーニ家はその歴史に幕を閉じた。
※”The Legendary Castellani Jewelry”も参考にさせていただきました。
カステラーニ家の業績
1850年以降のヨーロッパにおけるカステラーニ人気は熱狂的なものでした。古代ジュエリーから装飾的なモチーフを取り入れた見事な金のジュエリーを次々に制作。その大きな特徴は精巧なグラニュレーションやフィリグリーで装飾されていたことです。ローマのカステラーニ工房は1850年代の終わりまでにはイギリスやフランスの観光客が訪れる人気スポットとなりました。
これらの制作活動には前述したカンパーナコレクションの研究が大変役に立ったのはもちろん、他にもレゴリーニ・ガラッシの墓やヴルキ、キウージ、オルヴィエート、タルクィニアの発掘調査で出土した作品も参考にしています。
古代ギリシャスタイルのフィブラ(衣服を留めるブローチ)、ブレスレット、房飾り付きのネックレスなどが当時の流行を追う女性たちに大人気となり、優れた技術を持つカステラーニ家の作品に対する関心がヨーロッパ中で高まりました。
古代フィブラのレプリカ(カステラーニ作) 出典:Wikimedia Commons
また、中世やギリシャ、エジプトのスカラベやマイクロモザイクなど、古代以外のスタイルも取り入れていました。 ギリシャ語やラテン語の宗教的銘文が施されたビザンティン風のローマンモザイクブローチ、スカラベモチーフを使用した作品、オークと月桂樹の葉の冠なども制作していたのです。
カステラーニ家の功績の一つは、デザインだけでなく古代の「技術」も取り入れたこと。それまでの宝飾職人たちは古代の技術から学べるものはないと考え、デザインのインスピレーションソースとしてのみ、古代のジュエリーを参考にしていたのです。
カステラーニ家が特に力を入れていたのはグラニュレーション(粒金細工)です。発掘されたエトルリアのジュエリーを研究し、古代のグラニュレーション装飾を実現する技術を再発見するという困難な課題に集中しました。エトルリアのグラニュレーションは、金の表面を極小の金の球で覆うもの。この球は非常に小さく、一吹きすると飛んでいって消えてしまいそうな印象を与えるほどでした。グラニュレーションの難しさは球自体の製造ではなく、変形させることなく金の表面にろう付けすることにありました。
カステラーニはエトルリアのグラニュレーション技術を解明したと主張しましたが、完全ではなかったようです。それなりに良好な結果は得られたものの、オリジナルのような繊細で軽やかなデザインは実現できなかったと考えられています(現在では、エトルリア人が使用した技術は1930年代初頭に学者のH.A.P. リトルデールが解明した「コロイドろう付、Colloidal soldering」と呼ばれるものであったとされています)。
古代のグラニュレーション作品とカステラーニのグラニュレーション作品を比べてみると、たしかにその繊細さに違いのあることがわかります。
バッカスペンダントのレプリカ(カステラーニ作) 出典:thejewelryloupe
ごく初期を除き、カステラーニ家の作品の多くに”C”が二つ逆向きに重なる刻印が押印されています(いくつかの異なるパターンがあります)。”castellani hallmark"などで検索し、画像をご覧になってみてください。
最後にカステラーニの影響を受けた当店のブローチ(兼ペンダント)をご紹介いたします。最初にお見せしたカステラーニジュエリーの一覧画像も併せてご覧になってみてください。当店のものにはフランスのナポレオン3世時代特有の特徴も付加されていますが、同じテイストであることが分かると思います。
このように、19世紀後半のヨーロッパでは、カステラーニ家の流れをくむ作品が多く作られたのです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!