ブルーハートダイヤモンドの女性遍歴
Bonjour 皆さん!オーナーのラファエルです。
歴史にその名を刻むダイヤモンドは多数存在しますが、皆様はいくつご存じでしょうか。巨大な原石から作られたカリナンや、不幸を招くといわれているホープダイヤモンドなどは定番の有名ダイヤモンドですね。
これらの超有名ダイヤモンドは日本語の情報も溢れかえっており簡単にその背景を調べられますので、あえて当店でご紹介することはいたしません。メゾンマエアスならではの視点で、日本ではややニッチめながらも非常に魅力的なあるダイヤモンドの背景を深堀りしていきたいと思います。
ブルーハートダイヤモンドとは
そのダイヤモンドの名はブルーハートダイヤモンド(Blue Heart Diamond)。フランスではこの英語表記を使うこともありますし、"Le Diamant Coeur Bleu"と呼ぶこともあります。 ブルーハートダイヤモンドは「青色の」「ハート形にカットされた」「大きな」ダイヤモンドです。「大きな」以外は名前から想像がつきますね。
ウジェニーブルーやウンスエダイヤモンドと呼ばれていたこともあります。
ウジェニーブルーはナポレオン3世の皇后ウジェニーが所有していたとされる説から名づけられたもの。しかし、現在の所有者であるスミソニアン博物館の徹底的な調査でこの説は否定されました。1908年に発掘されたものであることが判明したのです。19世紀のダイヤではなかったわけですが、1909年にカットされていますので、アンティークジュエリーと呼んでも差し支えないでしょう。
もう一方のウンスエの名は、アルゼンチンのウンスエ家がこのダイヤモンドを43年間所有していたことに由来しています(後述)。現在この名が使われることはほとんどありません。
それではまず写真を見てみましょう。このダイヤモンドは所有者が変わる度に姿を変えてきました。下の写真は直近の装いです(スミソニアン博物館収蔵)。
ブルーダイヤモンドの青
ブルーダイヤモンドは、結晶中に微量のホウ素が含まれることにより青く発色します。同形置換という仕組みによるものなのですが、ご興味のある方はアンティーク物語『蜂ブローチからの「同形置換」からの「他色」と「固溶体」』をお読みください。
他のダイヤモンドと比べ、約4倍もの非常に深い場所で結晶が形成される非常に稀少な宝石です。発見できる確率は10,000分の1である、というまことしやかなネット情報はさておき、時間のかかる困難な採掘が必要であることは間違いありません。
GIAではブルーダイヤモンドに以下のカラーグレードを設定しています(薄い色から濃い色順に並んでいます)。
Faint→ Very Light→ Light→ Fancy Light→ Fancy→ Fancy Dark→ Fancy Deep→ Fancy Intense→ Fancy Vivid。
ファンシーカラーダイヤモンドを解説したGIAのページにそれぞれの色を示したカラーサンプル図がありますので、ご覧になってみてください。
ブルーハートダイヤモンドのカラーグレードは”Fancy Deep"で、希少なブルーの中でもかなり上級の色合い。このグレードでささっと検索してみたところ、0.3カラットで小売値1,650万円というブルーダイヤモンドのルースが見つかりました。
また、2023年にオークションに出品された17.61カラットのブルーロイヤル(Bleu Royal)ダイヤモンドの落札価格は日本円換算で約66億円。カラーグレードは最も価値の高い"Fancy Vivid"ですが、カラットあたり約3億7500万円もの値が付いたのです。
青いダイヤモンドいろいろ
ブルーハートダイヤモンドの重さは30.62カラット。100.5カラットの原石からこの重さにまで削られました。世界最大のカットダイヤモンド”The Golden Jubilee Diamond”(545.67カラット) とは比べるべくもありませんが、ブルーダイヤモンドとしてはかなりのビッグサイズです。「世界最大のハート形ブルーダイヤモンド」なのです。
それでは同じく青色である、あの有名なホープダイヤモンド(45.52カラット)と並べてその大きさをイメージしてみましょう。いずれも台座から外された状態です。
左側:ブルーハート 右側:ホープ 出典:スミソニアン博物館
重量比(30.62対45.52)ではホープダイヤモンドの3分の2。ブルーハートがその比率よりも小さく見えるのは、ホープダイヤモンドの厚みが比較的薄いことによるものです。カット技術の違いも一目瞭然。ハート形に仕上げるのは非常に難しく、高度な専門知識が必要とされます。作業に複雑な工程が求められるため、この形状のダイヤモンドは世界でもごく少数しか存在しません。
このダイヤモンドと混同されることの多いダイヤモンドに「ハートオブエタニティ」(Heart of Eternity)があります。27.64カラットの青色のハート形ダイヤモンドで、カラーグレードは最上級の"Fancy Vivid”。原石が採掘された場所はブルーハートと同じ南アフリカのプレミア鉱山(現カリナン鉱山)です。
ハートオブエタニティ
カラーや形状が似ているため、ハートオブエタニティの紹介記事で誤ってブルーハートダイヤモンドの写真が使用されることもあります(エタニティはやや幅広なプロポーションですので、じっくり確認すると違いが判別できます)。
このダイヤモンドはデビアス社が1990年代に採掘し、シュタインメッツ社がカットしました。デビアス社が販売した顧客の名前は公表されていませんが、5階級制覇を成し遂げたプロボクサーのメイウェザーが購入し婚約者に贈ったという噂があります。
ブルーハートに似ているアイテムをもう一つご紹介しましょう。まずは写真をご覧ください。
こちらもブルーハートダイヤモンドにそっくりですね。実は本物のジュエリーではなく、映画タイタニックに登場した架空のアイテムです(上の写真は小道具として制作されたもの)。"Heart of the Ocean"(日本名:碧洋のハート)と呼ばれ、56カラットという設定でした。現在もレプリカが制作されており、通販サイトなどで入手することができます。
この架空のダイヤモンドはホープダイヤモンドがモデルになっているといわれています(ホープダイヤモンドは、現在の形にカットされる前の一時期、ハート形にカットされていました)。先ほどご紹介したハートオブエタニティーにインスパイアされたという説もあるのですが、タイタニックは1997年に公開された映画ですので、年代的に合致しません。ブルーハートダイヤモンドの名が出てこないのは不思議です。なぜでしょうね。
"Blue Heart Diamond", "Hope Diamond", "Heart of Eternity", "Heart of the Ocean"、数多くのアイテムが登場しました。名前も似ていますし、お読みになっている方はどれが何だったのかわからなくなっているかもしれませんね。横道にそれてばかりで申し訳ありません。ブルーハートダイヤモンドは世界で一番大きなハート形ブルーダイヤモンドである、ということだけ覚えておいていただければ結構です。
ブルーハートダイヤモンドの誕生
それでは肝心のブルーハートダイヤモンドにフォーカスしましょう。既にお伝えした通り、このダイヤモンドは1908年に南アフリカのプレミア鉱山(現カリナン鉱山)でデビアス社により発掘されました。原石のサイズは100.5カラット。ちなみにプレミア鉱山は、カリナンやプレミアローズ、テイラーバートンなど数多くの有名ダイヤモンドが発掘された鉱山です。
1909年にこの原石をハート形にカットしたのはパリの宝石商アタニク・エクナヤン(Atanik Eknayan)。このカットでダイヤは30.62カラットになりました。原石は100.5カラットですから、3分の1以下の重量です。もちろん残りの部分も他のジュエリーの素材として有効活用されていますので、ご心配には及びません。
ここで台座から外されたルース状態のブルーハートダイヤモンドをあらためて見てみます。
写真:Chip Clark
スミソニアン博物館は、このカットを"heart-shaped brilliant cut"と表現していました。キューレットが大きめなのは、オールドカットが主流の時代にカットされたからでしょう。オールドカットからモダンブリリアントへの変遷については、アンティーク物語「オールドヨーロピアンカットの残り香:”demi-taille”」でご紹介していますので、 ご興味あればぜひご覧になってみてください。
マリア・ウンスエ夫人
1910年にピエール・カルティエ(カルティエ創業者ルイ・フランソワ・カルティエの息子)がこのダイヤモンドを購入し、スズラン飾りのネックレスに仕立てました。胸飾りと表現している資料もありますが、唯一見つけることができた画像を見る限り、日本語的には「ネックレス」が一番近いように思います(スミソニアン博物館もネックレスと表現しています)。日本では馴染みのない表現ですが、フランス語的には"collier (à) devant de corsage"が最も適当な表現でしょう。
ハート、マーキーズ、ペアシェイプ、スズラン型の大きなダイヤモンドがふんだんに使われた豪華なジュエリーを購入したのはアルゼンチンの大富豪マリア・ウンスエ夫人。このブルーハートダイヤモンドのネックレスはブエノスアイレスで人々を魅了し続けました。
ウンスエ夫人とスズラン飾りのネックレス
子供がいなかったウンスエ夫人は1936年に結婚祝いとしてこのネックレスを姪に贈ったそうです。
ジジ・ジャンメール
1953年にヴァン クリーフ&アーペルがこのネックレスを買い取り、新しいジュエリーに仕立て直しました。カルティエのネックレスからブルーハートと三角形のブルーダイヤモンド(3.81カラット)を取り外し、ペアシェイプのピンクダイヤモンド(2.05カラット)を加えたペンダントネックレスにリフォームしたのです。
向かって左側はスケッチ、右側はモデルによる装着写真
アーペルがこのネックレスを仕立てた1953年の6月、ヴェルサイユ宮殿のオランジュリーでがん協会主催のチャリティーイベント開催されました。
このイベントはオリオールフランス大統領夫人が主催したもので、参加者は「王冠を賭けた恋」で知られるウィンザー公爵夫妻やアリ・カーン王子(イスラム教シーア派分派の指導者アーガー・カーンの第一王子。当時プレイボーイとして名を馳せた)などの超セレブたちです。
このイベントでジジ・ジャンメールがブルーハートダイヤモンドネックレスのお披露目をしました(購入はしていません)。
ジジ・ジャンメールをご存じの方は少ないかもしれませんね。フランスの有名なバレーダンサー&歌手&俳優で、この翌年1954年に「カルメン」で有名な振付師のローラン・プティと結婚します。
雑誌Point de Vue誌のコメントを読んでみましょう。「有名なダンサーは鏡の中の自分を見て、歓喜の声を上げました。ヴァン クリーフ&アーペルの取締役の一人が、彼女の首に世界で最も美しいダイヤモンド『ブルーハート』をあしらったネックレスを留めたのです。それはまさに壮麗で、その純粋さと比類なき輝き、どちらを称賛すべきか迷うほどでした。」
ジジ・ジャンメール@ヴェルサイユ宮殿
ニナ・ダイアー
チャリティーイベントが開催された1953年にアーペルからこの逸品を購入したのは、スイスの実業家ハンス・ハインリヒ・ティッセン=ボルネミッツァ男爵。その翌年の1954年6月に、長い期間交際してきたモデルのニナ・ダイアーに結婚記念としてプレゼントしました。
ニナ・ダイアーは、セイロン(現スリランカ)でお茶のプランテーション事業を営んでいた裕福な英国人の父とインド人の母の間に生まれた英印ハーフの女性です。子供時代をセイロンで過ごしたのち女優を目指してイギリスに移住、その美貌ですぐにファッションモデルとして成功しました。
ニナ・ダイアー
その後ニナはパリに移り、ピエール・バルマンのお気に入りとなりました。フランスで上流社会のさまざまな人々と交流する中で出会ったのが、先ほどご紹介したたハンス・ハインリヒ・ティッセン=ボルネミッツァ男爵。鉱山財閥ティッセン社の後継者で、1947年には父親の死去によりわずか25歳でヨーロッパ一の富豪となったウルトラリッチマンです。
詳細は省きますが、1954年に結婚するまでニナ・ダイアーは男爵の愛人という立場でした。この愛人時代にも4億フラン相当の宝石、世界に4着しかないチンチラのコートの1着、2匹の黒ヒョウ、ジャマイカのペリュー島などを男爵からプレゼントされていたそうです。
ニナと男爵
お似合の二人!ニナの首元で輝いているのはもちろんヴァン クリーフ&アーペルが仕立てたあのネックレスです。
しかし良いことばかりは続かないのが世の常。1959年、二度の結婚に失敗したニナは、このネックレスをハリー・ウィンストンに売却することにしました。
マージョリー・メリウェザー・ポスト夫人
ハリー・ウィンストンはネックレスから取り外したブルーハートダイヤモンドを25個のラウンドブリリアントカットのダイヤモンド(計1.63カラット)で取り囲み、プラチナリングに取り付けました。
写真:Chip Clark
このリングを購入したのは、マージョリー・メリウェザー・ポスト夫人です。のちにスミソニアン博物館に寄贈しましたので、ブルーハートダイヤモンドの最後の個人所有者となりました。
ポスト夫人は父親から受け継いだシリアル事業を拡張し、世界に冠たる大企業に育て上げた経営の達人です。彼女が作り上げた会社はあの「ゼネラルフーヅ」。フィリップモリスによる買収やスピンオフ、統合などを経て現在はクラフト・ハインツ (Kraft Heinz) となりましたが、ゼネラルフーヅという名を知っている方は少なくないと思います。
ポスト夫人は、「世界で最も裕福な女性の一人」「アメリカで最も裕福な女性」などの枕詞が添えられる大富豪。フロリダ州パームビーチの大邸宅、マールアラーゴをご存じでしょうか。ドナルド・トランプ氏の別荘として日本でも知られるようになりましたね。実は夫人が建てたものなのです。
マージョリー・メリウェザー・ポスト夫人
ポスト夫人がハリー・ウィンストンからブルーハートダイヤモンドのリングを買い取ったのは1959年(価格非公開)。5年間所有したのち、1964年にスミソニアン博物館に寄贈しています。
ポスト夫人は価値のあるジュエリーのコレクションに情熱を注いでいました。そのコレクションの一部は寄贈先のスミソニアン博物館で公開されています。
ナポレオン1世が二番目の妻マリー・ルイーズ皇后に贈った「ナポレオン ダイヤモンドネックレス」と「マリー・ルイーズ ティアラ」のParureセット、マリー・アントワネットが所有していた14カラットと20カラットのペアシェイプダイヤモンドをあしらった「マリー・アントワネット ダイヤモンドイヤリング」、そしてもちろん「ブルーハートダイヤモンドのリング」など、超ハイレベルで歴史的なジュエリーばかり。溜息が出そうですね。
ブルーハードダイヤモンドのリングは、現在ジャネット・アンネンバーグ・フッカー・ホールの地質学・宝石・鉱物示ホールで展示されているそうです。
まとめ
かなり長くなってしまいましたので、ざっと復習しておきましょう
- ブルーハートダイヤモンドの原石(100.5カラット)は1908年に南アフリカのプレミア鉱山で採掘された
- 1909年、パリの宝石商アタニク・エクナヤン(Atanik Eknayan)がハート形にカット(30.62カラット)
- ピエール・カルティエが翌年(1910年)購入し、スズラン飾りのネックレスに仕立てる
- 同年(1910年)、アルゼンチンのマリア・ウンスエ夫人がネックレスを購入
- 1936年にウンスエ夫人が結婚祝いとしてこのネックレスを姪に贈る
- ヴァン クリーフ&アーペルが1953年に買い取り、ペンダントネックレスにリフォーム(ピンクダイヤモンド追加)
- ヴェルサイユ宮殿のチャリティーイベント(1953年)でジジ・ジャンメールがお披露目
- 同年(1953年)、スイスの実業家ハンス・ハインリヒ・ティッセン=ボルネミッツァ男爵が購入
- その翌年(1954年)、モデルのニナ・ダイアーに結婚記念として贈る
- 1959年にハリー・ウィンストンがニナから買い取り、リングにリフォーム
- 同年(1959年)、マージョリー・メリウェザー・ポスト夫人がこのリングを購入
- 1964年、スミソニアン博物館に寄贈される
できるだけシンプルにまとめたつもりですが、それでもこれだけ多くのイベントが起きていたとは驚きです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!