アールデコ期のオールドカット・パラドックス
Bonjour 皆さん!オーナーのラファエルです。
タイトルからお察しの通り、今回は少し専門的なテーマになります。一見、難しそうに感じられるかもしれませんが、とても興味深く、20世紀前半という激動の時代のアンティークジュエリーを理解する上で大変役に立つ内容です。なるべく分かりやすく解説いたしますので、ぜひ最後までお付き合いください。
まず、概要をもう少しブレークダウンしておきましょう。お伝えする内容は、「アールデコ期のジュエリーに使用されたダイヤモンドのカットが、(モダン)ラウンドブリリアントではなく、主にオールドヨーロピアンやオールドマインだった理由」です。
なぜそのような解説が必要なのか?と思われる方もいらっしゃるでしょう。その鍵を握るのは、「トルコフスキー理論」です。ますます分からなくなった、という声が聞こえてきそうですが、ご安心ください。順を追って説明させていただきます。
目次
- ダイヤモンドカットの歴史とトルコフスキー理論
- アールデコ期のダイヤモンドカット
- 第1次世界大戦とロシア革命
- 再カットによる重量ロス
- ダイヤモンドをカットする機械
- アールデコ様式とオールドカットの美的調和
- おわりに
1.ダイヤモンドカットの歴史とトルコフスキー理論
アンティークジュエリーファンの方であれば、おそらく一度は以下のようなダイヤモンドカットの歴史をご覧になったことがあるのではないでしょうか。
- ポイントカット:~14世紀頃
- テーブルカット:15世紀~
- ローズカット:16世紀~
- オールドシングルカット:17世紀~
- マザランカット:17世紀中頃~17世紀末
- オールドマインカット:17世紀末~19世紀末
- オールドヨーロピアンカット:1890年~1930年代頃
- モダンラウンドブリリアントカット:1919年~(※普及は1940年代~)
各カットに対応する時期に多少の違いはあれど、多くの資料が上記のように定義されていると思います。この章でフォーカスするのは、(モダン)ラウンドブリリアントカットです。他のカットと異なり、二つの時期(”1919年~”と”1940年代~”)が提示されていますね。最初の1919年は、「トルコフスキー理論」というものが発表された年なのです。
トルコフスキー理論とは、ベルギーのダイヤモンド加工業の名門トルコフスキー家の一員であるマルセル・トルコフスキー(Marcel Tolkowsky)が1919年に発表した、「ダイヤモンドの輝きを最大化する数学的理論」です。
マルセル・トルコフスキー
光の反射と分散を数学的に解析することにより、最も美しく輝くダイヤモンドの理想的プロポーションを導き出しました。現代の主流であるラウンドブリリアントカットの原点であり、輝きの黄金比とされています。ダイヤモンドに入射した光が全て逃げずに反射し、内側から湧き出るような輝きを放つカットスタイルを見出したのです。
ちなみに、「ブリリアントカット」は、光を効率よく反射させるためにファセットを放射状に配するカットの総称で、「オールドマインカット」や「オールドヨーロピアンカット」もブリリアントカットに分類されます。
トルコフスキーはこのブリリアントカットを数学的に解析し、最も輝くプロポーションを作り上げました。ラウンドブリリアントカットは、輝きの強さという面で、ブリリアントカットの究極のスタイルといえるでしょう。
2.アールデコ期のダイヤモンドカット
18世紀から19世紀にかけて使用されていたオールドマインカットや、19世紀末から広く用いられていたオールドヨーロピアンカットは、現代のカットと比較して、総じて高いクラウン、深いパビリオン、そして大きなキューレットを持つことが特徴です。オールドカットがこのようなプロポーションを採用したのは、当時の技術でカット可能な形状の中で、最も原石のカラット重量を保持することが可能であったからです。
ただし、オールドカットは、独特の柔らかな風合いを持ちながらも、光学的な輝きの強さという点ではラウンドブリリアントカットに比べると控えめでした。当時はまだ、光を効率よく反射させる理論そのものが存在しなかったのです。
20世紀に入り、第一次世界大戦を経て迎えた1920年代から1930年代をアールデコ期と呼びます。この時期に隆盛を極めたアールデコ様式は、直前のアールヌーボーやベルエポック期のロマンチックで有機的なスタイルとは対照的に、大胆な幾何学模様や力強い直線、対称性の強調が特色でした。(アールデコの詳細は、『フランスのアンティークジュエリー史概要(後編)』や『アールデコ期のファッションとジュエリー』をご参照ください)。
先ほどご紹介したトルコフスキー理論が発表された1919年は、まさにこのアールデコ様式が本格化しようとする黎明期にあたります。では、アールデコ期に「究極の輝き」を持つラウンドブリリアントカットが普及していたかというと、実はそうではありません。この時代、ジュエリーのセンターを飾っていたのは、主に旧世代のカットが施されたダイヤモンドだったのです。
本記事では、ラウンドブリリアントという究極の輝きを持つ最先端のカット理論が登場したにもかかわらず、なぜアールデコ期に既存のオールドカットダイヤモンドが多用されたのか、というパラドックスに着目し、その謎を解き明かしていきます。
3.第1次世界大戦とロシア革命
第一次世界大戦(1914年~1918年)は、ヨーロッパの主要な帝国(イギリス、フランス、ロシア、ドイツ)に壊滅的な経済的打撃を与え、戦後の混乱期には、史上最大規模の富がヨーロッパから海外へ流出しました。
多くのヨーロッパの貴族や富裕層は経済的に困窮し、手元に残った資産、つまり代々受け継がれてきた宝飾品や美術品を現金化せざるをえなくなったのです。その結果、戦前にカットされた大量のダイヤモンド(オールドヨーロピアン、オールドマインでカットされたもの)が、オークションやディーラーを通じて、パリなどの宝飾品市場に供給されることとなりました。
このダイヤモンド在庫の大量供給ショックに追い打ちをかけたのは、1917年に起きたロシア革命です。大戦による社会の疲弊に加え、深刻な物資不足や混乱が重なったことで、国内に深刻な財政難と飢饉がもたらされ、この革命につながりました。
革命後に成立したソビエト政府により設立されたGokhran(国家貴重品保管庫)は、ロマノフ王朝の宝飾品をはじめとする貴重品を集積。これらの貴重品は、財政難や飢饉対策のための資金調達を目的に、1920年代を通じて西側市場で売却され、多くのアイテムが欧米のバイヤーに渡りました。宝飾品に留められていたダイヤモンドに施されていたカットは、もちろんオールドカットです。
ロマノフ王朝の財宝鑑定作業(1925) 出典:Wikimedia Commons
欧米では、古いジュエリーの宝石を再利用し、新しいジュエリーに仕立て直すことがよく行われます。特に、富裕層が所持していた宝飾品に留められていたダイヤモンドは質の良いものが多く、大変人気がありました。
一方、アールデコ期を通じて、ラウンドブリリアントという新しいカットに必要な原石(ラフ・ダイヤモンド)を入手することは極めて困難でした。デビアス社が中央販売機構(CSO)を通じて世界の原石供給の80%から90%近くを独占的に支配していたためです。高い価格を維持するために供給を意図的に制限し、大量の原石を倉庫に貯蔵する戦略をとっていました。現代の同社のシェアは30%程度ですので、この当時の状況はまさに「独占」と呼んでさしつかえないでしょう。
アールデコ期の宝飾業者にとって、最新技術を用いてラウンドブリリアンにカットするための原石を安定的に、競争力のある価格で調達することは事実上不可能でした。
4.再カットによる重量ロス
3章では、市場に多くのオールドカットダイヤモンドが流通していたことをお伝えいたしました。ここで、「それらを再カットして新しいスタイルに生まれ変わらせるという選択肢はなかったのか?」という疑問が湧いてくるのではないでしょうか。
たしかに、アンティークダイヤモンドは再研磨されることがよくあります。長年の使用により欠けや摩耗が生じていることが多いため、ジュエラーはしばしばこれらのダメージを修復するのです。しかし、修復の目的は最小限の重量損失で石を元の状態に戻すことであり、歴史的な魅力や重量による価値を失わないように細心の注意が払われました。
オールドヨーロピアンやオールドマインといったオールドカットは重量を最大化するように設計されており、ラウンドブリリアントカットの理想的なプロポーション(浅いパビリオン、低いクラウン)に研磨し直すためには、余分な深さや高さを削り取る必要があります。この工程の結果、一般的に元の石の20%から30%ものカラット重量が失われてしまうのです。

ダイヤモンドの価格はカラット重量に依存しますが、ご承知の通り、その上昇率は単純な比例関係ではありません。重量が増すごとに、その価格は加速度的に高まっていくのです。また、当時から、ダイヤモンドには「マジックサイズ」という概念がありました。0.25カラット、0.50カラット、0.75カラット、1カラットなど、1グレーナー(0.25カラット)の整数倍を基準としたもので、その前後の重量と比べて価格が大きく変化する特定の重量のことです。このカラット数を少し割り込むだけで、価格が大幅に下落してしまいます。
例えば、1.20カラットのオールドヨーロピアンカットの石を再研磨して0.90カラットのラウンドブリリアントにした場合、重量の損失率(25%)以上に、市場価値がはるかに大きく下落してしまうのです。その石を仕入れたディーラーにとって、価値のこのような大きな棄損は決して許容できるものではありませんでした。
このような経済的な背景が、ジュエラーたちに「輝きを最大化する」ことよりも、「カラット重量を維持する」ことを優先させました。既存のオールドカットのダイヤモンドをそのまま新しいアールデコ様式のセッティングに利用することが、価値保全の観点から最も合理的だったのです。
5.ダイヤモンドをカットする機械
ラウンドブリリアントのカットには、主に3種の機械が使用されます。研磨機、ブルーティングマシン、ダイヤモンドソーです。
トルコフスキー理論が発表されたばかりのアールデコ初期に既に実用化されていましたが、ブルーティングマシンを除き、ラウンドブリリアントに必要な精度で安定してカット可能なものはまだ十分に普及していませんでした。
アールデコ期を通じてこれらの機械が普及・改良されたことで、時代の終わりを迎える頃にようやく理論通りの精密なカットが安定して行えるようになりました。その結果、完璧なスタイルのラウンドブリリアントが市場の主流として定着するのは、アールデコ期を過ぎた1940年代に入ってからのこととなります。
あらためて3種の機械をご紹介します。
① 研磨機(スカイフ)
役割:ファセット研磨。表面を削って「ファセット(面)」を作り、ピカピカに磨く
仕組み: 円盤の表面にダイヤ粉を塗り、回転する円盤の上から石を押し付ける
15世紀から存在する伝統的な機械で、オールドカットにも使用されます。ラウンドブリリアントカットを完璧に仕上げるために、「ドップ(Dop)」というダイヤモンド固定器具が劇的に進化し、正確な角度でダイヤモンドを盤面に当てることができるようになりました。
② ブルーティングマシン
役割:円形加工(Bruting)。ダイヤモンドの外周を円形に削る
仕組み:高速回転する軸と固定された軸、二つの軸にそれぞれダイヤモンドを取り付け、こすりつける
19世紀末に旋盤型のブルーティングマシンが登場したことで、それまで手動で2つの石をこすり合わせていた時代に比べ、圧倒的に正確な「真円」が作れるようになりました。オールドマインからオールドヨーロピアンへの進化は、この機械によるところが大きいです。
③ ダイヤモンドソー
役割:切断(Sawing)。原石を最適な厚みでスライスする
仕組み:薄い金属製の円盤刃を垂直に回転させ、外周部に施されたダイヤモンド粒子で、石を切断する
20世紀初頭、ダイヤモンド粉を用いた電動ダイヤモンドソーが登場しました。これにより結晶構造による制約を大きく離れた自由な造形が可能になり、近代的なカット(ラウンドブリリアント)への道を開くことになったのです。
研磨機を詳細に見てみましょう。オールドヨーロピアンカットなどに使用していた旧来の機構では、手で角度を調整しながら磨いていたため、完璧に設計図通りにカットすることは不可能でした。しかし、「ドップ(Dop)」という固定器具が劇的に進化しました。新しいドップには角度計がついており、数学的に導き出された黄金比の角度でダイヤを正確に盤面に当てることができたのです。これで、左右対称な58面を正確に作れるようになりました。
ダイヤモンドの研磨工程 出典:Wikimedia Commons
新しいカットを実現するために最も貢献した機械は、原石の切断に使用されるダイヤモンドソーです。
オールドカットでは、ダイヤモンドの原石を「劈開(clivage)」で割っていました。劈開とは、ダイヤモンドを結晶構造に沿って割る工法で、鋼鉄製の刃とハンマーを用いる、極めて手作業的な工法です。原石のカラット重量を維持するという観点では優れた方法なのですが、ダイヤモンドの結晶構造による制約が大きく、ラウンドブリリアントのプロポーション(浅いパビリオン、低いクラウン)に適した厚みに切り出すことができません。
20世紀初頭、ダイヤモンド粉を用いた電動ダイヤモンドソーが登場し、劈開に依らず原石を切断できるようになりました。しかし、当初は高価で効率が低かったため、十分に普及するまで長い時間がかかりました。
この章の冒頭でご説明したように、完璧なラウンドブリリアントカットを実現することが可能な機械が広く普及したのは1940年代以降です。
一方で、1920年代半ば頃には、一定の精度でカットをこなせる機械が徐々に利用され始め、オールドヨーロピアンカットとラウンドブリリアントカットの過渡的なスタイルである、"demi-taille"(ドゥミタイユ、トランジションカット)が市場に登場します。ドゥミタイユについては、アンティーク物語『オールドヨーロピアンカットの残り香:”demi-taille”』をご参照ください。
6.アールデコ様式とオールドカットの美的調和
ここまでの解説から、「望んで選んだわけではなく、やむを得ずオールドカットを使っていた」という印象を持たれたかもしれません。しかし、その理由は単に技術的なハードルや、原石の供給不足といった消極的なものだけではありませんでした。アールデコ期にオールドカットが受け入れられたのは、このカットがアールデコというモダンな様式とも、美的に調和していたからです。単なる妥協だけではなかったのです。
オールドヨーロピアンカットは、柔らかな輝きと、大きなファセットが生み出す大胆でカラフルなファイアを特徴とします 。この特性は、ローソク、ガス灯、そして初期の薄暗い電気照明といった、当時の光の環境に最適化されていたことにも由来しています。アールデコ期の夜間の社交場において、温かくロマンチックな光の反射は、モダンなデザインに組み込まれた際にも、ラウンドブリリアントカットにはない独特な魅力を放ったのです。これは、当時の照明環境と、人々が夜の社交文化に求める情緒的な感性によく馴染むものでした。
アンティークジュエリーに馴染みのある方はご存じかと思いますが、アールデコ様式では、エメラルドカットやバゲットカットといった、直線的でシャープな対称性を持つカットも好まれていました。 これは一見、丸みを帯び、対称性が不完全なオールドカットとは相容れないようにも思えます。しかし、当時のジュエラーたちは、この古いカットの石を中央に留め、その周囲を直線的なバゲットカットの宝石やホワイトゴールド・プラチナの幾何学的な枠で囲むことで、形と輝きのコントラストを生み出したのです。
オールドカットの柔らかな輝きと、アールデコ特有のシャープな幾何学模様。この相反する要素が組み合わさることで生まれた独特のコントラストが、この時代を象徴するひとつのスタイルを築き上げました。
アールデコ オールドカットダイヤモンドリング(ジャルティエール)
アールデコ期はモダニズムの時代でしたが、手作業でカットされたオールドカットが持つオンリーワンの個性と、過去から受け継がれてきた物語性も、当時の人々に強く支持されていました。機械で完璧に均一にカットされるラウンドブリリアントには存在しない古い職人技の名残りがあり、「過去との繋がり」を感じさせるものでもあったのです。
ティファニーなどの著名な宝飾店が、アールデコ期にオールドカットをメインストーンとしたエンゲージメントリングを制作していたという事実も、このカットが積極的に受け入れられ、活用されていたことを物語っています。
7.おわりに
私がまだアンティークジュエリー初心者の頃、「1919年にラウンドブリリアントカットが発明され、以降このカットが使われるようになった」という情報と、1920年代、1930年代のアールデコ期ジュエリーに留められたダイヤモンドの多くがオールドヨーロピアンカットであるという事実の間にあるズレに、素朴な疑問を抱いたのをよく覚えています。
その後、特にこの疑問にフォーカスして調査したことはありませんが、アールデコ期のいろいろな背景を知るようになるにつれ、ごく自然なものとして受け止められるようになりました。
この「いろいろな背景」を、自分なりに整理してみたのが本記事です。すでにご存じの内容も多いかもしれませんが、何か一つでも、アンティークジュエリーの見方のヒントのようなものがお伝えできていれば、と願っています。
最期までお読みいただき、ありがとうございました!
