女性コレクターたちの素顔:アンティークジュエリーを文化遺産へ

Bonjour 皆さん!オーナーのラファエルです。

今回は少し視点を変えて、アンティークジュエリーそのものや王族のエピソードではなく、「それを集めてきた人たち」に目を向けてみたいと思います。

焦点を当てるのは、歴史の表舞台に名前が残ることは少なくとも、確かな目を持ってアンティークを大切に守ってきた人たち。あまり語られてこなかった「女性コレクター」です。

私が女性コレクターという存在に興味を持つきっかけを作ったのは、「Great Women Collectors」という書籍です。大手通販サイトでもその中古本を販売していますので、ご興味があればぜひお読みになってみてください。

近年の研究や、私も折に触れて訪れるパリ装飾美術館(Musée des Arts Décoratifs)などの再評価によって、19世紀~20世紀初頭の美術収集における女性コレクターという存在が改めて注目されるようになっています。これまで彼女たちは、単なる「消費者」としてとらえられることが多く、積極的に収集家として位置づけられることはあまりありませんでした。

パリ装飾美術館(Musée des Arts Décoratifs)パリ装飾美術館 出典:Wikimedia Commons

しかし実際には、当時の装飾品や工芸品がどのような意図で集められ、どのようにひとつのコレクションとして形作られてきたのかという経緯を見ていくと、そうした見方だけでは、実際の姿を十分に捉えきれないのではないかと感じています。

アンティークとして伝えられてきた品々は、単に制作された場所・時代というピンポイントの背景だけで成り立っているわけではありません。それが誰に選ばれ、どのような環境で受け継がれてきたのか、という背景も、ジュエリーの魅力の一部だと思います。

本記事では、そのような視点から、女性コレクターたちの存在を改めて見ていきます。

※19世紀~20世紀初頭のアンティークジュエリーの歴史的背景については、アンティーク物語『フランスのアンティークジュエリー史概要(前編)』『フランスのアンティークジュエリー史概要(後編)』などをご参照ください。

目次

  1. 「コレクター」と呼ばれなかった人たち
  2. 彼女たちは何を何を集めていたのか
  3. パリを起点とした「流通」と美の創出
  4. マリ・アルコナティ・ヴィスコンティ
  5.  「装飾美術」という領域
  6. おわりに

1.「コレクター」と呼ばれなかった人たち

美術館の歴史をたどると、設立者や大収集家として語られるのは、多くの場合、男性の名前です。一方で同時代の女性たちは、長らく「消費者」や「装飾的な存在」とみなされてきました。しかし、これは当時の実態をそのまま反映したものというより、後世の記録の偏りによる部分も小さくありません。

19世紀のヨーロッパでは、女性が自らの名で財産を管理したり、公的にコレクションを形成・公開したりすることには制約がありました。そのため、彼女たちの活動は家庭内、あるいは非公式な場にとどまることが多く、結果として記録に残りにくかったのです。

19世紀の淑女

しかし、彼女たちが行っていたのは、単なる「買い物」ではありませんでした。蒐集対象の選択には明確な基準があり、一貫した嗜好が見られます。彼女たちによって選び抜かれ、大切に残されてきた品々は、結果として当時の美の好みを今に伝える「文化遺産」とも呼べる存在になっています。

2.彼女たちは何を集めていたのか

女性コレクターといっても、そのあり方は一様ではありません。当時の記録や残された品々からは、いくつかの典型的な姿が見えてきます。

サロンと結びついた収集

統領政府(Consulat)と第一帝政時代(1er Empire)、あるいは19世紀後半のナポレオン3世時代(Second Empire)におけるサロン文化の中で活動した女性たちは、知的交流の場としてのサロンを主宰していました。そこではジュエリーもまた、単なる装飾ではなく、話題や教養と結びついた対象だったのです。カメオや古典絵画のミニアチュールのような、古典趣味や歴史知識と関係する装飾品が好まれたのも、この文脈にあります。

アンティークロケットペンダント ミニアチュール(羊飼いの娘)と50個の天然真珠アンティークロケットペンダント ミニアチュール(羊飼いの娘)と50個の天然真珠

パトロンとしての収集

芸術家と近い距離にいた女性たちは、ジュエリーに対しても個別の注文を行うことがありました。一点物の作品や、繊細なゴールドワークを伴う装身具は、こうした作り手と使い手の密かな関係性の中から生まれています。「コレクション」だけでなく、「創造」にも携わっていたわけです。

上流階級の生活の中のコレクション

貴族や富裕層の女性たちにとって、日常用と社交用の使い分けは、単なるマナーを超えた厳格な社会儀礼でした。朝の散歩、午後の訪問、夜のオペラなどなど。あらゆる状況にふさわしい装いを完璧に整える必要があった彼女たちは、必然的に、単なる買い物の域を超えた広範な「ジュエリーの体系、レパートリー」を構築することになります。

一つひとつのジュエリーは、その場限りの飾りではなく、自らの社会的立場を完成させるための不可欠なピースとして、必然的な選択としてコレクションへと組み込まれていったのです。

3.パリを起点とした「流通」と美の創出

19世紀後半、万国博覧会や鉄道網の発達によって、美術品や装飾品の流通は大きく広がりました。パリのヴァンドーム広場やリュー・ド・ラ・ペは、そうした流れの中で重要な拠点となります。カルティエやブシュロン、ルネ・ラリックといったメゾンの作品は、フランス国外の顧客にも広く流通しました。

ただし、ここで重要なのは「パリから一方的に広がった」という単純な図式ではない、という点です。当時の富裕層の女性たちは、季節ごとに滞在地を変える生活を送っていました。パリ、ロンドン、バーデン・バーデン、ニース、あるいはイタリア各地。そうした都市を移動する中で、各地の宝飾品や装飾文化に触れ、それを自分のコレクションへと取り込んでいきます。物だけでなく、その人の好みや感覚も一緒に広がっていった、といえるかもしれません。

『旅の道連れ』(1862年) 出典:Wikimedia Commons

19世紀後半から20世紀初頭にかけて、こうした往来の中でヨーロッパ各地の趣味は相互に影響し合い、結果としてベルエポックからアールデコへと続く、国際的な様式が形成されていきました。

たとえば、イタリアで手に入れたマイクロモザイクやカメオがフランス製のフレームの中に組み込まれることもあれば、フランスの繊細なゴールドワークが他国のスタイルの中に取り入れられることもあります。フレンチ・イタリアンのカメオジュエリーは私もよく目にしますし、大変魅力的なものが多いですね。こうした組み合わせは、既製の様式ではなく、個人(女性コレクター)の選択の積み重ねによって生まれた、再構成されたスタイルであるということができるでしょう。

女性コレクターたちは、何を選び、何を残すか、という選択を積み重ねることで、結果的に新しい美の創出に関わっていたといえます。女性コレクターたちは、単なる消費者というより、ある種の「表現者」ともいえる存在だったのかもしれません。

4.マリ・アルコナティ・ヴィスコンティ

この時代の女性コレクターの頂点として、ぜひ知っておくべき人物がいます。フランスの稀代のメセナ(文化支援者)、アルコナティ・ヴィスコンティ侯爵夫人(Marchesa Arconati Visconti, 1840-1923)です。 

Marchesa Arconati ViscontiMarchesa Arconati Visconti 出典:Wikimedia Commons

彼女の生涯は、まさに「女性がコレクションを通じていかに社会に影響を与えたか」を象徴しています。イタリア貴族と結婚し、莫大な富を相続した彼女は、その生涯をかけて膨大な美術品を蒐集しました。しかし、彼女の真の凄みは、そのコレクションを「私物」に留めなかった点にあります。

使命感に燃えた寄贈者

 彼女はルーヴル美術館やパリ装飾美術館に対し、中世からルネサンス、そして18世紀の宝飾品や工芸品など、数千点に及ぶ至宝を寄贈しました。彼女にとって蒐集は、個人の贅沢ではなく、フランスという国家の「知性と美のレベル」を引き上げるための闘いでもあったのです。

知的なサロンと政治的役割

 彼女のサロンには当時の超一流の文化人や政治家が集まり、美術品に囲まれながら、ドレフュス事件(※)などの社会問題について熱い議論が交わされました。彼女にとって美は、社会を動かすための「舞台装置」であり「武器」でもあったのです。 
※ドレフュス事件は、19世紀末フランスを揺るがしたユダヤ系ドレフュス大尉の冤罪事件。当時の女性コレクターとは、ただ「綺麗なもの」を集めるだけでなく、社会に大きな影響を与えた大事件に対しても自分の信念を持って立ち向かう、自立した知識人たちでした。

アルコナティ・ヴィスコンティのような女性たちがいたからこそ、今日の私たちは美術館で、当時の職人たちが技術の粋を凝らしたアンティークジュエリーや工芸品を鑑賞することができるのではないかとさえ感じています。

5.「装飾美術」という領域

かつて、絵画や彫刻は「高尚な芸術」とされ、ジュエリーや家具といった装飾品(Decorative Arts)は「一段低い工芸」と見なされる傾向がありました。

しかし、自立した審美眼を持つ女性コレクターたちは、この装飾美術の中に、単なる美しさ以上の価値を見いだしていました。そこには、人間の知性や日々の暮らしが重なり合った、どこか生きた感触のある魅力があったのです。彼女たちにとってジュエリーは、単なる装身具ではなく、自分自身の歴史や価値観を映し出す存在でした。そうした捉え方は、結果としてジュエリーを「文化遺産」として位置づける、新しい視点を切り開いたと言えるでしょう。

Etruscan revival pendantエトルリアリバイバルペンダント(19世紀) メトロポリタン美術館収蔵

彼女たちのこの個人的な「愛着」は、やがて社会への確かな貢献へと姿を変えていきます。

たとえば、優れたデザインを多くの人に見てもらうことが、次の世代の職人を育て、社会全体の感性を少しずつ豊かにしていく、そんな思いがあったのでしょう。いわば「教育への情熱」です。あるいは、失われがちな手仕事の魅力をなんとか残したいと考え、それらをまとめ、国の誇りとして守ろうとする意識もありました。こちらは「国家的遺産の保護」といえるかもしれません。

彼女たちのコレクション活動は、単なる自己満足の趣味にとどまるものではありませんでした。集めたものを、将来や他者へ引き継いでいこうとする意識が、強く感じられます。

ジュエリーを通じて文化を次の世代へつないでいくという姿勢は、「文化的フィランソロピー(慈善活動)」とも呼べるもので、今の時代にも通じる一つの在り方だったのではないでしょうか。

6.おわりに

私たちがアンティークジュエリーに惹かれる理由は、単に古いから、あるいは単に美しいからということだけではないと思います。

その作品が制作された時代の歴史的背景や、どのように選ばれ、誰の手元に置かれ、どのように残されてきたのか、といった歴史の蓄積が、ジュエリーそのものに重なっているからではないでしょうか。

女性コレクターたちは、必ずしも歴史の表に名前を残したわけではありませんが、彼女たちの選択の積み重ねが、現在まで多くのアンティークジュエリーを伝えてきたことは確かです。

アンティークジュエリーを手に取るとき、そうした見えにくい層に少し意識を向けてみると、また別の見え方がしてくるかもしれませんね。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!