アンティークジュエリーとリボンモチーフ
Bonjour 皆さん!オーナーのラファエルです。
今回のテーマはアンティークジュエリーにおけるリボンモチーフの歴史と変遷です。本記事における「リボン」は、帯状のリボンが「リボン結び」された状態のものを指しています。フランス語では"nœud de ruban"、英語では"ribbon bow"もしくは"ribbon knot"と表現されるモチーフです。
日本では明治30年代に舶来のものとしてこのデザインの装飾品が女性の間で流行し、西欧の知識を習得した都会の富裕層の女学生を象徴する存在となりました。西欧では古い時代から存在する重要なモチーフであり、フランス貴族にとって特権階級の証しでした。
マリー・アントワネットなど多くの王室や貴族の女性がこのモチーフを好み、ジュエリーや衣服の装飾などに利用してきたことはよく知られています。日本では主に少女向けと見なされることが多いのですが、西欧ではあらゆる年齢層に愛用されているのが特徴です。
目次
- 元祖 セヴィニェ夫人と宝飾師ジル・レガレ(17世紀)
- ファッションの女王、マリー・アントワネット(18世紀)
- 皇帝ナポレオン3世の皇后ウジェニー(19世紀)
- 華やかなベルエポック(20世紀)
- アールデコの新しいスタイル(20世紀)
元祖 セヴィニェ夫人と宝飾師ジル・レガレ
日本ではフランスの女性貴族「セヴィニェ夫人」をご存知の方は少ないかもしれません。
セヴィニェ夫人の生来の名前はマリー・ド・ラビュタン・シャンタル。ブルゴーニュ旧家シャンタル男爵の娘です。ブルターニュの侯爵アンリ・ド・セヴィニエと結婚し「セヴィニェ夫人」となりました。1626年生まれ、没年1696年ですから、主にルイ14世時代のフランスを生きた女性貴族です。身内や友人にあてた手紙が名文として評価されており、日本でも夫人の書簡集が何冊か出版されています。
パリ3区のマレ地区にあるヴォージュ広場近くには、婦人が近隣の邸宅(オテル・カルナヴァレ)で余生を過ごしたことにちなみ、セヴィニェ通りと名付けられた通りがあります。
セヴィニェ夫人(Claude Lefèbvre画) 出典:Wikipedia
胸元中央に飾られているのは装飾を見ただけでリボン好きであったことがわかりますね。
このモチーフのジュエリーは17世紀に出現したといわれていますが、もちろんそのアイデアは突然生まれたわけではありません。 服の一部としての布製リボンを使用することは16世紀にはヨーロッパでかなり広まっていました。16世紀後半のヨーロッパの肖像画の多くに、衣服ともジュエリーともいえない、その中間的なスタイルで作られたものが描かれています。
17世紀に入るとこの装飾は徐々に大きくなっていき、服の一部ではありながらも、かなりジュエリーに近いものに変化していきました。下の画像は1630年に描かれたエリザベス・スチュアート ボヘミア王妃の肖像画です。衣服と一体となったパールストランドが胸元でダブルループに結ばれています。
先にご紹介したセヴィニェ夫人の肖像画に描かれている胸元の装飾も、服とジュエリーの中間のものといえるでしょう。
17世紀半ばを過ぎると、ジュエラー達は本格的にこのモチーフのジュエリーを作り始めました。シンプルで飾り気のないものから、真珠や植物、花、ダイヤモンドで装飾されたもの、そして複数のループを持つ複雑なデザインのものまで多岐にわたります。常に華やかで見栄えを重視する貴族や宮廷人たちからの需要に応え続け、多様なデザインを生み出したのです。
特に有名なのは、ルイ14世の宮廷宝石商でもあったジル・レガレ(Gilles Légaré)がデザインし制作していたブローチ。真珠やダイヤモンドで飾られた複数のループがあり、時には宝石が留められたペンダントパーツが下部に取り付けられていました。その独特のデザインは大人気となり、"noeud à l’égaré"(レガレ風のリボン)という、彼の名前を冠した別名が付いたほどです。
17世紀後半に制作されたレガレ風リボンのブローチ(パリ装飾美術館収蔵)
このブローチに留められているのはダイヤモンドではなくペースト。17世紀から19世紀初頭までヨーロッパでよく利用されていたペーストは、本場のアンティークジュエリー界において一定の評価を受けている素材です。日本では模造石的な扱いになってしまうことが多く、少し寂しく感じます。
ちなみに上のブローチはジル・レガレ作ではなく、あくまでも「レガレ風」のもの。ご参考までに本人の作品を描いた版画も掲載しておきましょう。
セヴィニェ夫人はもちろんジル・レガレの作品も大のお気に入りで、何かにつけ身に付けていたようです。セヴィニェ夫人が有名人だったこともあり、"à l’égaré"(レガレ風)と呼ばれていたブローチには、"Sévigné"という別名も付きました。
幾重ものループで構成されるレガレ風のデザインであるかどうかを問わず、フランスでは今でもリボンモチーフのブローチを"Sévigné"と呼ぶことがあります。それだけ夫人のインパクトが強かったということでしょう。
このモチーフの人気は17世紀で終わらず、18世紀に続きます。
ファッションの女王、マリー・アントワネット
18世紀のフランスのファッションアイコンといえば、やはり皆さまよくご存じのマリー・アントワネットでしょう。1755年生まれ~1793年没。フランス国王ルイ16世の王妃です。
マリー・アントワネット(Élisabeth Louise Vigée Le Brun画) 出典:Wikipedia
上の画はおそらく多くの方が一度は目にしたであろう有名な肖像画です。
以前ご覧になったときとは違うものが目に入りませんか?そう、胸元の装飾です。
マリー・アントワネットがリボン好きであったことはよく知られています。現代も含め、このモチーフのジュエリーや装飾品が「マリー・アントワネットスタイル」と呼ばれることもしばしば。
日本では紹介されることの少ない、マリー・アントワネットの装飾品をご覧ください。オークションに出品され、9,375ユーロで落札されました。
出典:Osenat
フルール・ドゥ・リスが織り込まれたこの素敵なお品はシルク製。革命後タンプル塔に幽閉されていた王妃が、カルメル会の修道女アンリエット・ド・ラ・フレットに贈ったものです。変装しタンプル塔に潜入したアンリエットの勇気と熱意に感動し、身に着けていたこの装飾品を手渡したとのこと。そんな深く哀しい歴史が刻まれているとは思えない美しいお品です。
それでは王妃が所有していたジュエリーを見てみましょう。
ダイヤモンドのブローチ 出典:サザビーズ
フレームには主にオールドマインカットダイヤモンドがちりばめられ、19世紀に後付けされたイエローの大粒ダイヤモンドがぶら下げられています(デタッチャブルです)。当初は王妃のベルトもしくはティアラの一部として制作されたものであるといわれていますが、詳細はわかりません。細部の装飾は比較的シンプルながらも、全体としては冒頭でご紹介したレガレ風のデザインを踏襲しています。
次にご紹介するのはペンダントです。18世紀後半は単一ループのものも多く作られていました。
出典:サザビーズ
このペンダントはもともと王妃の3連パールネックレスに取り付けられていたそうです。上部の留め具に使用されているダイヤモンドもペアシェイプのバロック風天然真珠も、尋常ではない大きさ。。。オークションでは当時の為替レート換算で41億円もの値が付きました。
小さなリボンモチーフをメインパーツ上部に据えるのは、18世紀から始まった定番のジュエリーデザインです。
メゾンマエアスでもほぼ同時期に制作されたこのデザインのジュエリーを販売しております。その名も“La croix Marie Antoinette”、「マリーアントワネットクロス」。このスタイルのクロス・ジュエリーのフランスでの呼び名です。素材面では比べようもありませんが、全体のデザインもリボンの形状も、まさにアントワネットスタイル。ぜひご覧になってみてください。 マリーアントワネットクロス
皇帝ナポレオン3世の皇后ウジェニー
18世紀末のフランス革命により、華やかだった宮廷文化は消滅しました。ジュエリーの世界においても同様です。王侯貴族たちが好んだ豪華で派手なロココ的スタイルは鳴りを潜め、古代ギリシャやローマ帝国風の質実剛健なものが人気となります。19世紀前半、特に初頭はいわゆる「新古典主義」が隆盛を極めた時代です。
19世紀後半になると、ある女性がジュエリー界に新風を吹き込みます。その女性の名はナポレオン3世の皇后、ウジェニー・ド・モンティジョ。マリー・アントワネットスタイルで飾った自分の肖像画を描かせるほど、この18世紀の王妃の熱烈なファンでした。肖像画は"L'impératrice Eugénie à la Marie-Antoinette”(マリー・アントワネット風のウジェニー皇后)と呼ばれています。
Franz Xaver Winterhalter画(1854年) 出典:Wikimedia
マリー・アントワネットへの強いあこがれからウジェニー皇后が18世紀フランスアートへの回帰を奨励した結果、ルイ16世様式などの装飾的なモチーフが再び成功を収めたのです。
もちろんウジェニーもリボンモチーフのジュエリーを身に付けていました。最初にご覧いただく皇后のジュエリーは、日本では見かけることの少ないデザインのもの。ブローチとネックレスを組み合わせた胴飾り(前飾り)で、着脱も可能なブローチを両肩のやや下の方に留めて使います。1863年の作です。
同タイプのジュエリーを身に付けた写真が海外のブログに掲載されていますので、ご興味があれば覗いてみてください。
次にご覧いただくブローチはもともとベルトのバックルとして制作されたものです。ウジェニー皇后が何等かの経緯で入手し、ブローチに改作しました。この作業を行ったのは19世紀のフランスの著名な宝石商および宝飾デザイナーであるFrançois Kramer。彼はナポレオン3世とその妻ウジェニー皇后のために多くの豪華なジュエリーを製作しました。その中でも特に知られているのが、このブローチなのです。
出典:BIJOUX ET PIERRES PRECIEUSES
ルーブル美術館に収蔵されているこのブローチには2,600個ものダイヤモンドが使われているとされます。
最後にご紹介するのは、ルビーとダイヤモンドが留められたハート型のロケットペンダント。1850年にショーメ(Chaumet)が制作したものであるといわれています。ショーメの歴史を紹介した書籍「Le Grand Fisson: 500 Years of Jewels And Sentiment」の表紙にも採用された名作です。
ロケットペンダントの中には毛髪の束が残されており、ナポレオン3世のものとされています。
オークションに出品され、当初推定価格約20,000ドルを大幅に上回る価格で落札されたとのこと。直前にご紹介したブローチのような豪華さはありませんが、リボンにハートという、女性の心を強く惹きつける魅力的なデザインが目を惹きます。
この時代はカメオやネオルネッサンス様式の根強い人気、ナポレオン3世の古代趣味増進などもあり、折衷主義(éclectisme、相異なる体系を折衷・調和させて新しい体系を作り出そうとする主義・立場)が主流でした。決してロココ一辺倒ではなかったことも付け加えておく必要があるでしょう。
18世紀アートへの回帰はナポレオン3世の退位(1870年)とともにいったん下火になり、ベルエポック期に復活します。
華やかなベルエポック
ベルエポックはフランス語で"Belle Époque"。美しい時代という意味です。年代に関していろいろな定義を見かけますが、ざっくり19世紀末から第1次世界大戦前(1914年)までを指します。豪華な生活様式、贅沢なパーティー、センセーショナルな高級娼婦たちなど、特にパリが栄えた華やかな時代。今なお私たちを魅了する時代といえるでしょう。
アンティークジュエリーの世界においても、同時期のアールヌーボーとともに、ジュエリースタイルのジャンルとしてフィーチャーされることの多い時代です。この時代に注目が集まるのは、当時パリのヴァンドーム広場に多数の高級ジュエリーのメゾンが店を構えたことも影響しています。ブシュロン、ショーメ、ヴァン クリーフ&アーペルなどです。
顧客は貴族やブルジョワジーたちでしたが、特に着目すべきはこの魅力的な時代のトレンドを生み出したジュエリーを身にまとった高級娼婦たちでしょう。歴史に名を残した数々の有名人が存在しますので、いずれ何かの機会にご紹介できればと思います。
豪華絢爛な時代感にマッチしたこともあり、ルイ16世様式はベルエポックにおけるアートムーヴメントの一つになりました。関心は持ちながらも極端なアールヌーボースタイルを採用することにはためらいのあったジュエラーにとって、ロココ風のカルトゥーシュやロカイユの装飾が豊富なインスピレーション源となったのです。ガーランドやリボン、ハートのモチーフなどが20世紀初頭のジュエリーにおける定番となりました。
この時代のリボンモチーフはそれまでの時代に比べフレーム部の幅がやや狭く、オープンワークの強調されたデザイン。また、極端に曲線を誇張したフォルムが多かったのは、アールヌーボースタイルに引きずられたためでしょう。左右対称でない、アシンメトリーなデザインも出現します。
この章では、サンプルとして当店で販売している同時代のジュエリーをご紹介させていただきます。
アールヌーボーのペンダントネックレス(天然真珠とリボンモチーフ)
アールデコの新しいスタイル
アールデコ期はこれまでご説明してきた変遷の中でジュエリーデザインが最もドラスティックに変化した時代といえるでしょう。
機械化と産業界の影響を強く受けたデザインが特徴で、斬新で大胆な形状が際立っていた時代です。プラチナ、ホワイトゴールドやダイヤモンドなど高価な素材が多用され、特にヴァン クリーフ&アーペルやカルティエなどの名門ブランドが象徴的な作品を生み出しました。
最初に当店の商品を一つご紹介いたします。
高価な素材は使われていませんが、アールデコ期の典型的なデザインです。
アールデコデザインの大きな特徴は、幾何学的または様式化された形状であること。「様式化」は聞きなれない言葉かもしれませんね。goo辞書の表現を借りると「事物を単純化・類型化しながら表現に様式上の特性を与えること」です。
例えば、現実にあるものをそのまま描くのではなく、一定のパターンや特徴に合わせてアレンジすることを指します。複雑なものを単純な形にすることもあれば、特定の時代や文化の特徴を強調して表現することも。先ほどは「幾何学的または様式化された形状」という文章で「幾何学的」と「様式化」を並列に表現しましたが、「幾何学的な形に『様式化』されている」と表現してもよいかもしれません。
デザイン上の特徴としてもう一つ挙げるとすれば、曲線より直線が勝っているということでしょう。以前の時代ものに比べすっきりしたフォルムが採用されています。
理論的な話が続き、そろそろ退屈になってきたかもしれません。最後にアールデコ期のリボンモチーフジュエリーをいくつかご紹介いたしますので、直前の解説と併せてご覧ください。論より証拠、独特のデザインをご覧いただければ、アールデコのイメージががすっと頭に入ってくると思います。
オニキスとダイヤモンドのブローチ
サファイアとダイヤモンドのブローチ
ベルエポックまでのモチーフに比べ、少し地味に感じられるかもしれませんね。しかしこの時期には華麗でアシンメトリカルなデザインのものも作られました。当然のことですが、全てが教科書通りではないのです。
オニキスとダイヤモンドのブローチ
最後に当店の商品をご覧いただきます。アールデコスタイルと18世紀マリー・アントワネットスタイルが見事に融合したペンダントです。
結び
アンティークジュエリーにおけるリボンモチーフの歴史を簡単にまとめてみました。
パイオニア宝飾師ジル・レガレ(Gilles Légaré)、レガレの流行が続く18世紀に生きたマリー・アントワネット、マリー・アントワネットをアイドルとして崇める19世紀のウジェニー皇后、その流れを引き継ぐベルエポック期のデザイン、ドラスティックに変化したアールデコ期。
17世紀中頃から20世紀前半までの変遷がうまくお伝えできていれば幸いです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!